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2015年(平成27年)6月28日《第790号》

私は仕事に迷うと神楽坂を訪れることがある▼大学を卒業して最初に住んだ街。就職した法律関係の出版社・G社までは徒歩5分。六畳一間風呂なし共同便所で、都心の割に激安だった▼G社は2年10か月で退社したが、その後編集プロダクション(編プロ)という出版社から雑誌の編集などを請け負う小さな会社に2社ほど勤めた。G社は大手だったが、変な習慣が多い会社で、違った意味で有名だった。その編集方法も独特で、他の出版社では通用しないものが多かったから、編プロでは大いに苦労した▼NHKの集金(外国人相手)や羽田空港でのジャンボジェット機の機体洗いなどのアルバイトで糊口をしのぎ、やっと転職できた1社目の編プロは、私の力不足で4か月でクビになった。しかし、その会社の社長は「やったことのない仕事でも、ここで見たことを参考に、やったことがあると言え」と転職のアドバイスまでしてくれて、給料を1か月分余分にくれた。2社目は入った時点で傾いており1年後に倒産した▼早く編集者として飯が食えるようになりたい。その一心で毘沙門天や筑土八幡で毎日のように手を合わせた。神楽坂を歩くと、いかに自分が編集者になりたかったかを思い出す。原点を振り返ることができる街なのだ。

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2015年(平成27年)5月24日《第789号》

私が住んでいる地域には小学校と幼稚園、保育園があるため、朝な夕なに「あ、猫ちゃんだ!」と言って私の家の前で立ち止まる子どもたちがいる。外に出られない猫たちが、窓の外を眺めているためだ。子どもは本当に動物が好き。猫にかける声も可愛らしい▼テレビを見ていたら、敷地を取り囲むように防音壁を張り巡らせた新設の幼稚園が映し出されていた。この地域は子育てからは遠くなった高齢者が多く、計画が分かってから反対運動が起こり、いくつかの条件付きで開園にこぎつけたのだという。いまや幼稚園も迷惑施設なのだろうか。将来、年金もこの子たちが支えていくのになあ、と思う▼また別のテレビを見ていたら、外国人旅行者に人気の谷根千(谷中・根津・千駄木)の宿を紹介していた。家庭的な宿で、主人らの子どもたちが走り回っている。迷惑になるとしかっていたが、「ハッピーノイズだから気にならない」と宿泊客に言われ、気が楽になったという▼直訳すると「幸せな雑音」といったところか。私も静かに読書をしたいと思って入ったレストランで子どもが騒いでいて、不快に思ったことがあるが、言葉とは不思議なもので、「ハッピーノイズ」という名前を与えられると、寛容な気持ちになれる気がする。

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2015年(平成27年)4月26日《第788号》

前号の新聞の締め切りの日に三毛猫のミンミンが亡くなった。同僚と飲む約束があり、帰ってみると、もう冷たくなっていた▼フードを欲しがって、うるさく鳴くのに、あげるとほとんど食べないという日々が続いていた。5月で20歳になるという高齢で、多少ボケていたのかもしれない。トイレも失敗することが多くなっていた▼その日の朝、そろそろ無理やりにでも食べさせないとまずいだろう…と思い、フードを指につけて舐めさせようとしたが、うまくいかなかった。口内炎があるので、激しく抵抗されるかと思いきや、そうでもない。今思えば、それだけ弱っていたのだろう。時間が押していたので、また帰ったら試してみようと思いながら外出したが、それがミンミンとの別れになってしまった▼ミンミンは松戸よみうりとは縁の深い猫である。入社してすぐの新聞に子猫の里親募集の記事が出ていた。それがミンミンだった。動物関連の記事を書いた時には、モデルになってもらって、写真を載せた。子猫のミンミンを保護していただいた読者の方とは、今でも親しくさせていただいている▼ミンミンが生きた時間、それは私の社歴そのもので、松戸で暮らした時間でもある。松戸のそこ、ここに、ミンミンの思い出がある。

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2015年(平成27年)3月22日《第787号》

今年は戦後70年、阪神・淡路大震災から20年、地下鉄サリン事件からも20年、そして東日本大震災から4年がたつ▼私がこの会社に入ってからも7月で20年になるので、震災とサリン事件の年に入社したのだ。以前にお付き合いしていた方が関西在住だったので、震災の被害に遭わなかったかどうか心配していたのを思い出す。転職する前、私は都内の編集プロダクションで働いていて、資料を集めるために日比谷公園内にある図書館をよく訪れていた。事件に巻き込まれなかったのは、運が良かっただけとも言える▼そのころは編集作業も手作業がほとんどで、原稿こそワープロで書いていたが、レイアウトなどは定規と鉛筆を手に紙のレイアウト用紙に向かっていた。全ての編集作業がパソコンで行われる今の作業を考えると、20年の時の流れを実感する▼2月に18歳になったばかりの姪は来月大学生になる。そこで心配事がひとつ。受験から入学式、サークルの新入生勧誘と続くこの季節、活発化するのがカルト教団の勧誘だ。彼らは普通のサークルの仮面をかぶって近づいてくる▼霊感商法や家族が破綻するほどの高額なお布施、はてはオウム真理教のようなテロや殺人まで、及ぼす害は果てしない。新入生は気をつけていただきたい。

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2015年(平成27年)2月22日《第786号》

昨年の4月に痛風の発作を起こしてから10か月。食事制限だけで尿酸値を落とすのはなかなか大変で、何度か挫折しそうになったが、先月の検査でぎりぎり正常値というところまで落とすことができた▼ふと思ったのが、白鵬の気持ちが分かるなぁ、ということ。偉大な記録を達成して、ちょっと気が抜けたように見える。私も今回ばかりは気が緩んでしまい、暴飲暴食がたたって、胃腸の調子を壊した。白鵬関と比べること自体不遜だし、我ながら本末転倒のことをするなぁ、と反省している▼1、2か月に1度の血液検査の日を目標に頑張ってきた。最近は休みの日だけ飲酒するようにしているが、最初の数か月は完全に禁酒していた。食事は野菜が中心▼副産物としてついてきたのが体重の減少で、昨年4月に73キロあった体重は、今では52キロしかない。さすがに20キロ以上の減量は体に良くはないのかもしれないが、血液検査の結果では「栄養状態は良好」とのこと。検査と検査の間、体重計の数字だけが指針になる▼自分をコントロールしていくということは実に難しい。そして、食欲というものが、人間の欲望の第一なんだ、とつくづく実感している。一病息災の言葉のごとく、いろいろと勉強になっているこの1年である。

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2015年(平成27年)1月25日《第785号》

フランスでの新聞社襲撃事件に続いて、今回の「イスラム国」による日本人人質事件である。遠い話だと思っていた出来事が、いきなり目の前に迫ってきた▼映像に映る黒装束の男は日本の痛いところを突いていた。8500キロも離れた日本がなぜ「十字軍」に参加するのか、政府ではなく私たち国民に問いかけていた。人命第一だがテロにも屈しない、となれば、安倍首相でなくても、難しい事態だ▼疑問に思うこともある。拘束された後藤健二さんの妻には昨年から身代金を要求するメールが届いていたという。この情報は安倍首相に届いていたのだろうか。中東での安倍首相の言動がテロリストを刺激したとの見方もあるが、事実を知った上での中東歴訪だったのか▼政府は英国に協力要請をしたが、英国はテロリストとは一切交渉しないという方針を貫いて人質を殺されている。無事に解放させたトルコやフランス、スペインなどに協力してもらうほうがいいのではないか▼米国との連携を強め、「テロとの戦い」を強調すれば、中東での拉致事件だけでなく、国内のテロだって想定しなければならない。その覚悟が政府にあるか。国民にはないと思う。少なくとも私にはない▼程よい距離の保ち方、が賢明な選択ではないか。(23日午前記)

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2014年(平成26年)12月28日《第784号》

栃木県で犬が大量に捨てられていたという、なんとも無残な事件があった。背景には動物愛護法の改正があるという▼1999年に26年ぶりに改正され、現在の名前になった。当時私も取材したが、多くの動物愛護団体が行政に働きかけ、殺処分を少しでも減らし、動物の虐待を防ごうというのが大きな目的だった。その時課題として残ったのが動物取扱業者の規制だった▼不十分だと怒る人、26年ぶりの改正なのだから、少しでも前に進んだことを良しとする人、意見は様々だったが、5年ごとに見直されることが決まったので、ここに期待することにした▼で、何度目かの見直しで、昨年、業者からの動物の引取りを行政が断ることができるようになったのである。件の遺棄事件は、処分に困った業者の仕業だと思われる▼あなたはペットショップで売られている犬猫が売れ残った場合、どうなるか考えたことはあるだろうか。日本では行政の施設に持ち込まれて殺処分されてきた(過去形)。ドイツではペットショップに行っても生きた動物自体売っていない。犬税と寄付によって運営される施設で譲り受けるか、ブリーダーと直接交渉するのだ▼そもそも犬(つまり命)に流行り廃りがあること自体、おかしくないだろうか。

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2014年(平成26年)11月23日《第783号》

この原稿を書いている21日、衆議院は解散するという▼安倍総理の記者会見を見ていても、話すのは経済のことばかり。消費増税の先送り、アベノミクスの是非について国民に信を問いたい、と言われたって、景気の状況によって増税を先送りすることは最初から決まっていた話。それこそ、「粛々と」進めればいい。アベノミクスに至っては、その意味すら私には判然としない▼思えば、昨年の今頃、多くの反対がある中で秘密保護法が可決された。あの時こそ信を問うべきではなかったか。今年に入ってからも、集団的自衛権行使容認の閣議決定、原発再稼働など賛否の分かれる問題を前に進めてきた▼安倍総理は会見で経済のことばかりを口にするが、実はこれらの政策をさらに推し進め、確実なものにするために、あと4年の任期が欲しかったのではないかと思う▼安倍総理は就任直後は安全運転で、あまり個人の国家観を前に出さないのではないか、と言われていた。経済政策を前面に出したことが、不況に苦しむ国民の切実な思いに反映して、高い支持率を得てきたのだと思う▼何か安倍総理にとっては、経済政策というのは、自分が本当にやりたい政策を後ろに隠すための、隠れ蓑になっているような気がしてならない。

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2014年(平成26年)10月26日《第782号》

友が他界するということは、故人の中に生きていた私自身も死んでしまうということ…。根本圭助さんの原稿を読んでいて、だから親しい人が亡くなると悲しく寂しいのかと目が開かれる思いがした▼2年前の夏にお幼い頃からかわいがってくれた大叔母を亡くしたが、晩年は介護施設を見舞っても、私のことが分からない様子だった。果たして私の目の前にいる女性の中に、私という存在がまだ残っているのかどうか、まだ大叔母は生きているのに、大叔母という人はもういなくなってしまったかのような、寂しく切ない思いがした▼NHKの連続テレビ小説「花子とアン」の主役だった女優の吉高由里子さんが、朝の番組に出演していて、インタビューを受けていた。吉高さんにとって一番大切なものは? という質問に、「記憶です」と答えた。司会者は意味が分からなかったのか、ポカンとしていたが、私は、この人はまだ若いのに、そこまで分かっているのか、すごい、と感心した。記憶こそがその人をつくっていくもので、存在そのものだと思う▼先週末、大学の友人6人と、熱海・伊東を訪れた。出会った頃はこんなに長い付き合いになるとは思いもしなかった。私の中に彼ら彼女らは生き、彼ら彼女らの中に私が生きている。

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2014年(平成26年)9月28日《第781号》

今年も大雨や台風で各地に多くの被害が出た。年を追うごとに気候が荒々しさを増していると感じている人は少なくないだろう▼しかし、それは案外近視眼的な見方なのかもしれない。地球は今でも温暖な氷河期の中にあるという。特に人類が生まれてからの数万年は気候が非常に安定していて、これが人類に繁栄をもたらしたという▼私たちの前の地球の覇者は恐竜だったが、巨大隕石の衝突により絶滅してしまった。恐竜がいなくなった隙間を埋めるように繁栄したのが哺乳類であり、とりわけ私たち人類は生息範囲や数で他を圧倒している▼地球上の生物の大絶滅は何度も起きてきた。理由は隕石の衝突、地殻変動、地球全体が氷に閉ざされた全球凍結など様々。その度に地球上の主役の交代が起きた。それまで繁栄を極めていた種が瞬く間に絶滅してしまう。昨日まであった穏やかな日常が一変してしまう、なんという理不尽▼この理不尽さ、以前どこかで感じたことがある、と思っていたら、昔読んだ旧約聖書の物語を思い出した。神の怒りに触れた街や人々がことごとく滅ぼされてしまう▼実は古代の人々が感じた神は自然そのもののことだったのではないか。巨大な自然の力にはかなわない。それは今も昔も変わらないのではないか。

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2014年(平成26年)8月24日《第780号》

5年ぶりに実家のある大分県竹田市に帰省した。混雑するお盆の帰省は避けてきたが、今回は高校の同窓会が卒業以来30年ぶりに開かれるというので、帰ることにした▼駅前から続く市街地は高校卒業後、帰るたびに寂しくなっていった。人通りが少なく、シャッターも目立つ。一方で国道沿いの郊外には大型店も進出していて、こちらはそれなりに賑わいを見せていた。規模の差こそあれ、商店街よりも郊外店に人が集まる傾向はどこも同じだ。むしろ「一人に一台」と言われるほど車への依存度が高い田舎のほうが、その傾向が強いのかもしれない▼子どもの頃に比べて川沿いの杉の木が大きく育っているのが目立つ。一方で山に密集している杉は細く痩せている。林業の低迷で、人が手を入れなくなったためだろう。美しい棚田だったところも今は雑草が生えている▼このまちのシンボルは瀧廉太郎の「荒城の月」のモデルとなった岡城だ。最近は兵庫県朝来市にある竹田城が「天空の城」として有名になった。実は岡城も山城で十分に「天空の城」の趣がある。城からは、くじゅう連山、阿蘇山、祖母山など、数々の名山を眺望できるという、なかなか贅沢な場所だ▼ブームがこちらにも飛び火しないかと、心密かに期待している。

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2014年(平成26年)7月27日《第779号》

我が家には2匹の腎不全の猫がいて、19歳の三毛猫は一日おき、5歳の白黒猫は毎日皮下点滴をしている▼腎臓の機能が低下したために血液中に溜まった老廃物を、尿をたくさん出すことで排出するのが目的だ。この点滴のことを「命の水」と言う人もいる。点滴を怠れば、やがて尿毒症を起こして死んでしまう。そんな猫の点滴生活はもう2年も続いている▼そうこうしていたら、私自身が痛風になってしまった。暴飲暴食が原因だろう。桜が咲く頃に発症し、3か月になる。この間禁酒を続け、尿をアルカリ性にする薬を飲んでいる。アルカリ性の尿を出すことで、血液中の尿酸を排出する。なんだか、猫の点滴に似てなくもない▼禁酒をしたお陰で自然と食べる量が減った。ダラダラと飲むのが好きで、いつの間にかつまみをたくさん食べていたのだろう。72キロあった体重はみるみる減って、現在62キロ。世の中にはたくさんのダイエット本やテレビ番組などがあるが、何のことはない、食べなきゃ痩せるのである▼お酒を飲まなくなったことで、時間も増えた。その時間は読書や映画鑑賞に当てている。飲めなくなったことは寂しいが、これはこれで充実している。生活を見直すきっかけをもらったと思って、病気と付き合っていきたい。

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2014年(平成26年)6月22日《第778号》

もし日本に憲法九条がなかったら、日本は1950年に勃発した朝鮮戦争や75年に終結したベトナム戦争にも従軍していただろう▼第二次大戦に負けてアメリカの言いなりにならざるを得なかった国情を考えると、容易に想像ができる。あるいは残虐行為を重ねてアジア諸国からのさらなる恨みをかったかもしれない▼しかし現実には朝鮮戦争による特需景気で景気浮揚のきっかけをつかみ、「奇跡」とも言われる復興を遂げた。戦前は兵器につぎ込んだ高い技術力と勤勉な労働力を、戦後は民事にのみ注ぎ込んだからこそ、異例の速さでアメリカに次ぐ経済大国になり得た▼憲法九条は、いわば経済大国日本の生みの親である。公害など様々な問題も誘発したが、国民の多くがその恩恵にあずかった。54年に生まれた安倍首相もその一人だと思う▼集団的自衛権の行使容認をすれば、憲法九条は実質骨抜きになる。日本の最高法規である憲法は、主権者である国民が権力者(政府)の権限を制限するという性格を持つが、解釈改憲はこれに逆行する。改憲・保守の論客にも安倍首相のやり方に首をかしげる人がいる所以だ▼将来、安倍首相と逆の考えを持った人が政権を取った時には、また解釈を変えるのだろうか。そんなに軽くていいのか、憲法。

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2014年(平成26年)5月25日《第777号》

母が盛んに寂しさを訴えるようになった。そして、夫婦二人でいてもこんなに寂しいんだから、(独り身の)あなたは将来絶対に寂しくなる。だから早く結婚しなさい、とこうなる▼しかし残念ながら、と言うべきか、私は今のところ全く寂しくない。仕事は忙しく、家に帰れば5匹の猫が待っている。大学時代から続くサークルの仲間たちには年に2、3回は会い、花を見たり、山に登ったりである。これが楽しみで日々の暮らしに張りを与えてくれる▼人の寂しさはどこから来るのだろうかと考える。今のままで行くと二十数年後には日本の市町村の約3割はなくなるという。母の暮らす町も過疎が止まらない。近所から人気がどんどんなくなっていく▼母は一人暮らしの経験がない。私は幼い頃、病気で入退院を繰り返していたため、小学生になる頃には嫌というほど「一人」を経験していた。19歳で家を出てからもずっと一人。旅行も一人旅が好きだ▼次頁の根本圭助さんは一人で暮らすことより、先輩がいなくなることが寂しそうだった。弟気質なのだ▼私が歳をとり、サークルの仲間(想像もしたくないけど)や同世代のアイドル…、例えば松田聖子とか小泉今日子などが逝ってしまったら、さすがに寂しいだろうなぁ、とは思う。

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2014年(平成26年)4月27日《第776号》

特定秘密保護法の成立、武器輸出三原則の緩和、集団的自衛権の行使容認の動き、沖縄八重山地区の教科書採択問題、原発再稼働への動きなど、次から次へと入ってくるニュースが気持ちを暗くする▼私が生まれ育った平和なこの国が大きく変わりそうな、嫌な空気が立ち込めているのに、こんな重要な決定が一度も国民に問われることなく進められている。このジレンマ▼前回の選挙で自民党が圧勝したのは、民主党があまりにも頼りなかったからだ。積極的に自民党を選んだ人は少ない。それが分かっていたのか、選挙直後は安倍さんも謙虚だった。それが今は、である▼そんななか、少し嬉しいニュースが入ってきた。憲法9条がノーベル平和賞の候補となったのだ。安倍政権による改憲の動きが加速するなか、9条を守りたいと神奈川県の子育て中の主婦が思いついたアイデア。個人や団体に授与するもので憲法など抽象的なものは候補になれないとのノーベル委員会の返事に、対象は「9条を保持している日本国民」とした。協力を呼びかけたところ、推薦資格のある大学教授の賛同も得られた▼正式にノミネートされた現在も賛同者の署名が続いている。もし受賞すれば、私も、そしてあなたもノーベル賞受賞者である。

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2014年(平成26年)3月23日《第775号》

「本よみ松よみ堂」で紹介した「評伝 ナンシー関」。ナンシーさんは高校時代、ビートたけしのオールナイトニッポンを聴いて、非常に影響を受けたらしい。所ジョージの番組が突然終了し、意気消沈していたところ、たけしが新しいパーソナリティとなり、ますますのめり込んでいった▼私はというと、そのころパックインミュージックの阿部敏郎や野沢那智・白石冬美の通称ナチ・チャコパックに夢中になっていた。ところが、パックは私が高校2年の夏に突然終了してしまう。15年も続き、深夜放送のパイオニアとまで言われていたのに。パックの後にどんな番組が続いたのか記憶にない▼今週TBSラジオではパックを回顧する番組が放送された。そして、ナチ・チャコパックの名場面を集めたCDも発売される。実に数万円という高い代物。なぜパックが終了したのか、いまだに解せない。ナッちゃんはお色気話のほかに、平和や安保の話もよくしていた。そんなことがアダになったのでなければいいが。私が大学で政治学を学び、今こんな仕事をしているのもパックの影響がなくはない▼十代のほんの数か月のできごと。でも、それは人生に影響を与えるほど大きなものだ。若い時の1年は実に大切で濃密だとつくづく思う。

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2014年(平成26年)2月23日《第774号》

「日曜日に観たいこの1本」を立ち上げたのは、「カジュアリティーズ」というアメリカ映画を紹介したいと思ったからだ▼ブライアン・デ・パルマ監督、マイケル・J・フォックス主演のベトナム映画。小隊が村を襲い、少女を拉致して戦場を連れ回す。フォックスは仲間の目を盗んで少女を逃がそうとするが、言葉が通じないためにうまくゆかず、少女は哀れな最期を遂げる。仲間からの恫喝的口止を受けて帰国した彼が、ベトナム移民の少女からかけられた言葉に嗚咽するシーンが心に残っている▼同じくベトナム作品があるオリバー・ストーン監督は最近、アメリカ史を見直すドキュメンタリー作品10本を作り、NHKでも放送された。その中では、第二次大戦を終結させたのは旧ソ連であり、日本への原爆投下は必要なかったということが描かれている▼私は彼らこそ本当の愛国者だと思う。国を良くしたい、社会を良くしたいからこそ、自国の人々が目を背けたくなるような歴史でも事実として伝え、彼らの作品を受け入れる国民に期待しているのだ。こういう作品でも有名俳優が出演し、全国で公開されるというアメリカ社会の度量の広さもすごい▼戦争映画といえば自国の被害面ばかりに目が行く我が国では、考えられないことだ。

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2014年(平成26年)1月26日《第773号》

松よみ堂で紹介した「ユーミンの罪」( 酒井順子・講談社現代新書) と前後してジェーン・スーさんの「私たちがプロポーズされないのには、1 0 1の理由があってだな」(ポプラ社)を読んだ▼ざっくり言うと「女友達にしたら嫌がられそうなことは、男にもしないように」というような内容。小さなムラ社会をすぐに作ってしまう女性は女友達にはすごく気を遣うのに、交際相手には意外と無神経な要求をしていたりする▼女性センターの2階には小さな図書室があり、往年のフェミニズム関連の本が置いてある。女性が頑張っても報われない男社会への不満が書き連ねてある本が多い中、松原惇子さんの「クロワッサン症候群」(1988年)は、雑誌が提唱する結婚を選択しない女の生き方に踊らされた後悔が書かれていて、画期的だった。同じ棚には、同書を批判する本も。「悪いのは男! あなた、なに寝ぼけてんのよ!」というわけである▼酒井さん、スーさんの本には松原さんの本と共通する部分がある。内省的で、自らの歩みを見つめ直そうとしている点だ。80年代の男女雇用機会均等法成立とバブル以降、女性は加速度的に変わったのだと思う。走り続けて、今立ち止まり、足元を見つめている、といったところか。

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2013年(平成25年)12月22日《第772号》

今年を象徴する漢字は? 恒例の清水寺では「輪」。安倍首相は「夢」と答えた。安倍首相にとっての「夢」とはなんだろう。「大日本帝国の復活」だろうか▼私も、いくら保守傾向の強い安倍首相とはいえ、まさかそこまでは、と考えていた。しかし、内閣法制局長官を自分と考えの近い人物に替えて集団的自衛権の行使を可能にしようとしたり、武器輸出三原則を緩和、世論を無視して特定秘密保護法を強引に成立させたりと、「夢」の実現にまい進しているように見える。世論を見るとまだまだ平和憲法を改悪することは難しいと考えたのか、あらゆる手を使って憲法を骨抜きにしようとしているようだ▼特定秘密保護法反対のデモのプラカードの中に「ファシスト」の文字が見えた。そういえば、盟友の麻生副総理は「憲法を変えるには、ナチスを見習って」と言ってたっけ。石破幹事長は、デモはテロと同義だとも▼戦前、日本を戦争に引きずり込んだ制度のひとつに軍部大臣現役武官制というのがあった。軍部は気に食わないことがあると、軍部大臣を引き上げて内閣の手足をしばった。当時この制度の危険性を知っていた国民はどれほどいただろうか。治安維持法もしかり。戦争は知らないところからヒタヒタと近づいてきた▼考えすぎだろうか。しかし、引退した自民党の重鎮・野中広務さんや村山富市元首相などが警鐘を鳴らしている。いずれも戦争を経験した世代の政治家が本気で心配しているのである。

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2013年(平成25年)11月24日《第771号》

朝起きると、足元の布団が赤黒く染まっていた。一緒に寝ていた猫がお尻から血を流していたのだ。嘔吐も激しく、こちらもどす黒い。その日から入院ということになった▼まだ5歳なのに昨年9月に腎不全を発病。1年以上も自宅で皮下点滴を毎日2回続けてきた。その甲斐あって、腎臓の悪化はなんとか食い止められており、このまま寿命まで、つまり20歳くらいまで生きてくれないかなぁ、などと夢のようなことを考えていた矢先の出来事だった▼1週間後、下血もほとんど収まったというので退院したが入院中からほとんど何も食べなくなった。私は若い頃から消化器が弱く、高校生の時には十二指腸の大手術をしている。人間なら1週間や2週間は何も食べずに点滴だけで栄養をとり、回復してきた頃に流動食から始める。しかし、猫の場合、点滴から栄養をとることができないという。人間では当たり前のようにできそうなことが、動物の医療では難しいのだろうか▼人間なら、お金があろうがなかろうが目の前に死にそうな人がいれば病院が助ける。動物の場合は飼い主に判断が委ねられる部分が大きく、状況が深刻になれば心の負担も大きくなる▼ホームセンターで探したら、猫用の流動食があったので、今はそれを飲ませている。

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