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2013年(平成25年)10月27日《第770号》

猛暑に続いて竜巻に台風。日本の気候が年を追うごとに激しくなっていると感じるのは私だけではないだろう。竜巻なんておとぎ話の世界だけの話かと思っていたら、今夏は近隣の野田市でも被害が出た。やはり地球温暖化が影響を与えているのか▼開発よりも自然保護、道路よりも緑が大事、が信条の私からすれば、「だから言ったでしょ」ということになる。この程度の小さな緑地、つぶしても影響はないだろう、が重なって都市部の緑は壊滅状態である▼地球規模の環境から見れば、地球はむしろ寒冷化に向かっているという話もある。しかし、それは数万年単位の話で、心配になるのは私たちの子や孫の時代に環境がどうなっているか、ということだ▼最近は夏が長く、秋以降の季節が後ろ倒しになり、期間も短くなっているように感じる。紅葉も遅く、12月に入ってからという年も出てきた。12月なのに秋の風物詩。日本人の感性を育て、文化の源ともなってきた季節感までもが失われつつある。秋刀魚の出足が遅くなった。北海道が「米どころ・東北」の座を奪うかもしれない。温暖化は食文化にも影響している▼大気汚染問題に疎い隣国の存在など、私たちだけではどうしようもない問題もある。が、まずは足元から、が大事だ。

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2013年(平成25年)9月22日《第769号》

こういうことを書くとまた怒られるかもしれないが、オリンピックが東京に決まって、複雑な気持ちでテレビを見ていた▼安倍首相は福島第一原発の汚染水の流出について「完全にブロックされている」と最終プレゼンで演説。それはウソでしょう。国内ではそんな発言一度も聞いたことがない▼TBSラジオの朝の番組でアンケートをとったところ、お祭り騒ぎの最中にもかかわらず、約半数がオリンピックに来て欲しくなかったという回答だった。東北の復興が進んで街の形が出来てきた頃に仙台あたりで開催するとか、アジアの玄関口・福岡をメイン会場に長崎・広島も巻き込んで平和の祭典にするとか、そんなやり方だったら、もっと国民の気持ちが一つになれたのではないだろうか。なぜ再び東京なのか、に最後まで引っかかった▼良い面を考えれば、これからは海外から厳しく見られるわけで、原発対策や復興に本腰を入れざるをえなくなるだろうし、いつまでも中国・韓国とケンカしているわけにもいかないだろう。内向きの空気が少しでも変われば、と思う▼いまや野鳥の楽園となっている葛西臨海公園にカヌー競技会場建設プランがあり、日本野鳥の会などが危機感を強めている。新たな課題も今後は出てくるかもしれない。

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2013年(平成25年)8月25日《第768号》

昨年暮れに亡くなった中沢啓治氏が自身の被爆体験をもとに描いた「はだしのゲン」が、島根県松江市で自由に閲覧できない閉架措置にされたという。旧日本軍による残虐行為の描写があることから、市民から議会に陳情が出て、不採択になったものの、市教委が「描写が過激」として、全小中学校で閉架措置を取ったという▼九州の小学校に通っていたころ、担任教師が教室に「はだしのゲン」を置いた。その先生によると漫画は全て「悪書」だったが、「はだしのゲン」だけは特別で、唯一教室で読んでいい漫画だった。漫画文化に対する偏狭な姿勢に反発を感じずにはいられなかったが、「はだしのゲン」は全巻読んだ▼ニュースになったことで初めて知ったが、1973年から約1年間、週刊少年ジャンプ(集英社)に連載された作品だという。担任教師が教室に置いた時には既に単行本化されていた▼それにしても、いまだに学校図書館に置かれていることに改めて驚いた。今でも強烈に覚えているのは、原爆の後遺症に苦しむ人々の生々しい姿だ。松江市が問題にした箇所とは違うようだが、戦争がどれだけ残酷なものかを子どもたちに教えるのも大切なことだと思う。読む読まないは、子どもの判断に任せてよいのではなかろうか。

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2013年(平成25年)7月28日《第767号》

やっぱり、与党の圧勝で終わった参議院選挙。20歳で投票権を得てから全ての選挙に投票してきたが、今回は投票する前から結果が分かっているようで、なんだか投票所に向かう足が重かった▼与党一色に染まったような報道番組の日本地図を見ながら、ふと、おかしなことに気がついた。安倍政権はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加や原発再稼働に前のめりだ。それが分かっていて、東北をはじめとする農村部、とりわけ福島でも与党勝利というのはどうしたことか。唯一沖縄だけが違った結果に。基地問題で、与党の言うことに信頼を置けないという沖縄県民の気持ちの表れだろう▼農村では今までも減反政策など不利な政策を押し付けられてきたという過去がある。そして、今回のTPPでは、農業は壊滅的な打撃を受けるのではないかと心配されている。福島ではそれに加えて原発の問題もある▼選挙は国民が意思表示できる数少ないチャンスだ。これではTPPも原発も認めたことにならないだろうか。参議院選挙の結果がどうであれ、安倍政権は続く。保守傾向が強い農村部でも、結果を恐れずに意思表明できるチャンスだったと思う。「おまかせ民主主義」では、もう自らを守ることができない時代が来ていると思うのだが。

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2013年(平成25年)6月23日《第766号》

流山運転免許センターの近く、富士川と坂川の合流点から川を少しさかのぼると、北千葉導水路の出口がある▼28・5キロ先の利根川から水を地下の巨大なパイプで引き、手賀沼と坂川の流量を確保し、水質の浄化に貢献している。26年をかけた大工事は平成12年に終わった▼同地は親水公園となっていて、子どもたちが水遊びに興じている。公園の一角からは、大量の水が絶えず湧き出ている。これはまさに利根川の水。きれいにならぬなら、きれいにしてみせようホトトギス。そんな力技を象徴するように、公園の近くには、巨大なコンクリートのパイプの一部がオブジェのように置かれている▼松戸市街地を流れる坂川の水は近年大変きれいになったが、これも人工の力によるところが大きい。古ヶ崎浄化施設で浄化された水が江戸川河川敷の水路(ふれあい松戸川)を通り、その一部が再び市街地に戻される。小山可動堰で水は一部は上流へ、一部は下流へとそれぞれ流れを変える。だから市街地の坂川の水は上流に向けて逆に流れている▼松戸の川が人工的であるのは今に始まったことではない。新松戸より下流の坂川は江戸時代以降に治水のため掘削されたもの。江戸川自体、幕府が治水のために流れを変えてできた川である。

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2013年(平成25年)5月26日《第765号》

1年ぶりに寺社めぐりの取材をしている。今回は印西市。リストがわりにしている「宗教法人名簿」という県発行の冊子があるが、それによると印西市の寺社は47か所。手頃な数である。いつも名簿にない寺社も少なからず発見するが、それでも4〜5日で回れるだろう▼地図を見ながら目に付いた寺社をしらみつぶしにめぐる。今回も足は自転車。ところが、訪ねる寺社のほとんどが名簿に出ていない。1日歩いても、名簿上の寺社が全く消化できない。こんなことは初めて、と思いながら地図を眺めていたら、「旧印旛村」「旧本埜村」の文字が飛び込んできた▼印西市は3年前に2つの村を編入合併していたのである。私が歩いていたところは、ほとんどが旧印旛村だった。「平成の大合併」恐るべし。今の印西市には名簿上だけでも100を優に超える寺社があるのだ▼印旛沼のような低地から、急に高い山がせり出しており、寺は民家に近い低地に、神社はたいてい山のてっぺんにある。特に浅間神社は山岳信仰の神社ということもあり、急斜面につくられた狭く長い階段をいくつも上った▼階段の途中から振り返れば、広大な田園と印旛沼の雄大な眺め。「住みよさランキング」(東洋経済)で全国1位というのも、うなずける。

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2013年(平成25年)4月28日《第764号》

うちの2匹の猫たちは人が好きでしかたがない▼ 病院でも診察台の上ではしゃいで、先生の顔をなめたりするので、「(腎不全の治療で)家で点滴するとき、大変でしょう」と言われるが、実は先生と看護師さんを見て、はしゃいでいるだけなのだ▼どうしてこんなに人間が好きなのか。たいていの人は私がかわいがるからだ、と思うみたいだが、実は生まれつきなのではないか、と思っている。2匹を拾って私の家に連れてきた知人は、拾った時からものすごく人懐っこくて、びっくりしたという。ガリガリに痩せた子猫で、死んでしまいそうだったところを保護された。飼われていたとは考えにくい▼やはり、生まれつき人懐っこい猫というのはいるのだ。家猫は古代エジプトで穏やかな性格の山猫を交配させてつくられたと聞く。家猫が日本に来たのは、仏教伝来とともに、お経や仏像をネズミの害から守るために、船に乗せられたのが最初だとか。穏やかな個体を交配してつくられたため、家猫にはもともと人を好きになる遺伝子が備わっているのではないだろうか▼うちの猫たちにはその気質が特に強く出ているのだと思う。子どもの時に避妊手術をしたので、子孫を残すことはなかったが、今思うと、ちょっと惜しい気もする。

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2013年(平成25年)3月24日《第763号》

21日の読売新聞1面の「モノ欲しがらぬ若者」という記事▼30歳でIT関連企業の役員を務める男性は車の免許を持っていない。便利な都心では必要性を感じないからだ。高級な車を乗り回す感覚がわからない。高収入にもかかわらず、高級ブランド品には見向きもせず、手頃な価格のカジュアル衣料を愛用する。ここまでで、私はいいね、いいねと2回つぶやいた▼記事は電通総研の調査から、若者の消費の特徴を「メリハリ化」と「総交際費♂サ」とする。気に入ったものへの高額な出費はいとわず、仲間との交流や盛り上がるためにはお金をかける。私は、益々いいねぇ、今の若者は、と思う▼一方で、「はぁ(ため息)。元気がないなぁ、今の若者は。だから日本の景気は良くならないんだ」と思う人もいるかもしれない。あるいは、記事の方向性としても、低成長時代に育った今の若者の消費行動に懐疑的なのかもしれない▼しかし、私は今の若者の感覚の方がより人間らしくて好きなのだ。消費社会の中で果てしなく欲望を喚起され、物質を追い求める。キリがない。それよりも、人とのコミュニケーションの方にお金を使う。素晴らしい。「足るを知っている」ということなのだろう。明治以前なら、むしろほめられたことなのではないか。

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2013年(平成25年)2月24日《第762号》

ほろ酔い気分で夜の街を歩いていたら、パジャマ姿の少年に呼び止められた。「月はどこに出てますか」。見ると理科のノートと鉛筆を持っている▼もう10時すぎ。宿題が終わらず焦って家から出てきてしまったのだろうか。一緒に夜空を見上げたが、建物に囲まれた空はとても狭く、月はおろか、街灯の明かりで星すら見えない▼それにしても、こんな夜中に私みたいなおじさんに声をかけるなんて…。変な人だったら大変だ。「お父さん、お母さんに相談してみな。マンションの屋上からなら見えるかもしれないよ」と、少年が自宅マンションの玄関に入っていくのを見届けた▼ロシアに落ちた隕石は、地球が広大な宇宙空間に浮かぶ孤独な惑星であることを改めて思い知らせた。小惑星程度の隕石が直撃すれば、恐竜のように人類も滅んでしまうだろう。私たちの文明が続いているのも、単に運がいいだけのことかもしれない▼しかし、隣国では核実験を繰り返し、アフリカでは宗教の名のもとにテロリストたちが無辜(むこ)の命を奪っている。隕石の衝突を待つまでもなく、自ら滅びの道を歩んでいるようだ▼あまりにも近視眼的。漆黒の闇に浮かぶ青い地球の姿を思い浮かべれば、この星の生命自体が奇跡のように感じられるはずなのに。

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2013年(平成25年)1月27日《第761号》

詳しい事情は省くが、私には祖父母と呼べる人が7人いた。12日に母方の祖母が亡くなり、これで私の祖父母はすべて他界した▼祖母には私の母を含め男2人、女3人の子がいる。北九州の葬儀場で、久しぶりに母と4人の叔父・叔母に会い、酒を酌み交わした。子が5人いれば、自然、孫とひ孫が多くなる。葬儀場には私も初めて見るいとこの子どもたちが顔をそろえ、賑やかだった▼96歳の大往生。涙も出ないかと思われたが、出棺の折り、おそらく初めて人の死に触れたであろう、小さなひ孫たちが泣いているのを見て、私も泣いてしまった▼お棺には祖母のノートが5冊入れられた。その中の1 冊の表紙には「開拓者」という文字が大書きされていた。私はどうしても読みたくなり、棺が閉められる直前にお願いして5冊とも頂いた▼先日75歳で芥川賞を受賞した黒田夏子さんは「本にしておけば、私が死んだ後でも、いつか誰かが読んでくれるだろう」という思いで早稲田文学新人賞に応募したという▼祖母のノートは日記で、誰かに読ませるために書いたものではないかもしれない。が、誰にも読まれないまま灰になってしまうのはどうしても惜しい気がした。祖母のノートは私という読者を待っていたような気がしてならないのだ。

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2012年(平成24年)12月23日《第760号》

年の瀬に森光子さん、中村勘三郎さん、小沢昭一さんと訃報が相次いだ▼今年は友人や大学の後輩の死の報せに始まり、夏には俳優の地井武男さんの訃報に触れた。もちろん、面識があるわけではないが、地井さんが出演する「ちい散歩」を楽しく見ていた▼いつのことだったか、読者の方から「今、地井さんが昭和ロマン館を訪ねてるよ」とわざわざ電話をいただいたことがあった。番組の中に「昭和散歩」というコーナーがあり、地井さんがロマン館を訪ねた回がオンエアになったことを教えてくれたのだ▼本紙の企画でも「寺社巡り」といういまだ未完のシリーズがある。立ち上げた時には読者の皆さんに受け入れられるか不安もあったが、地井さんが番組の中で名もない寺社を散歩する姿を見て、少し背中を押してもらったような気がしていた。勝手に親近感を抱かせていただいており、身近な人が亡くなったような寂しさを感じた▼母は70歳を過ぎたころからやたらと寂しがるようになった。根本圭助さんに原稿をいただきに行くと、根本さんからも同じような話を聞く。一人、また一人と知人が亡くなっていく寂しさは、まだ私には想像するしかないが、冒頭に書いた友人の死は私にもそんな時が確実に近づいていることを教えている。

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2012年(平成24年)11月25日《第759号》

今年の夏は悔恨を残した。3匹いる猫のうち1匹の白黒猫の様子がおかしいので病院に連れて行ってみると、腎不全だった▼猫は腎臓や泌尿器が悪くなることが多いが、たいていは高齢の猫だ。我が家の白黒はまだ4歳。人間で言えば若者である。熱中症にかかっていたのに気が付かず、腎臓にダメージが来てしまったらしい▼1週間ほど入院して、退院後は自宅で1日に2 回皮下点滴を行い、薬を飲ませている。うちには高齢のため腎不全になった三毛猫もおり、こちらは2日に1回。点滴だけでも一仕事だが、白黒の場合は私の不注意が原因なので、文句も言えない▼猫を初めて拾ったのは高校1年のころだ。高校生活はあまりうまくいっておらず、猫にはずいぶん助けられた。友達のように感じた。松戸に来て、成人して初めて猫を飼ったが、どうも以前と感じが違う。友というより、子どものように感じてしまう。横の関係が、縦になった。子猫の時にイタズラが過ぎてイライラした時は幼児虐待する親の気持ちが少し分かる気がした▼思えば高校生のころは、私も猫と同じく親から保護され、食べさせてもらう立場だった。今は私が稼がないと、病院にも行けない。猫を子どものように感じるからこそ、今回の病は余計に痛いのである。

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2012年(平成24年)10月28日《第758号》

銀杏の樹の全盛期はなんとジュラ紀だったという。今から1億9960万年前から1億4550万年前の時代。恐竜が最も栄えた時代に銀杏も栄えていた▼ これからの季節、黄金色に染まる神宮外苑の絵画館前の並木道は有名だが、身近に見かけるのは神社などにある大木ではないだろうか。寺社めぐりをしていた折、よく見かけたのが銀杏だった。ご神木になっているもの、市の保護樹木になっているもの、伝説の残るものなど様々である▼人間が地球に登場するずっと前から恐竜たちと時を過ごしていたかと思うと、神宿る樹として神社で大切にされているのも納得できるような気がする。神道は聖書のような文字に書かれた聖典がない宗教で、かなり独特だ。教義もよく分からない。言葉ではなく、樹木などの自然を前にしたとき、心で感じる畏敬の念が信仰となっていったのではないだろうか▼銀杏の大木に枝から垂れ下がっているような、こん棒状の突起を見かけることがある。女性の胸に似ていることから乳根(ちちね)と呼ばれる。乳根が見事な銀杏は、「乳イチョウ」とか「垂乳根(たらちね)のイチョウ」などと呼ばれ、母親がお参りすると乳の出が良くなるという言い伝えがある。こんなところにも生命を感じる樹である。

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2012年(平成24年)9月23日《第757号》

関さんの森の道路が28日に開通する▼関さんの森は取材などで十数年前からなじみの場所だった。当初は道路問題があることも知らず、いつまでもこの森が続くものだと信じていた▼この話を初めて知ったのは春のことで、梅林の新緑を見つめながら、こののどかな風景が失われるなんて、とても信じられないと思った▼市が強制収用の手続きに入り、問題が大詰めを迎えていたころは夏から秋にかけてだった。私は関さんの庭で支援者の会議を取材しながら、足元を見ていた。名も知らない甲虫が靴の上を歩いていた。私の座っていたところは、ちょうど都市計画道路の予定地で、道路ができればこの虫の住む場所もなくなる。虫が無性に愛しく思えた▼市と関さん側はお互いにギリギリの譲歩をして、迂回道路が通ることになった。関さんの気持ちを慮れば、おそらく複雑な思いもあると思う。梅林が斬られ、目に見えないけれど、虫たちもたくさん死んだと思う▼関さんの今の一番の心配は、通行者や、関さんの家に通う多くの猫たちが事故に遭うこと。先日も、どうしたら猫が事故に遭わずにすむか、二人で頭を悩ませた▼関さんはよく、「私は変わり者だから」と自嘲する。それを言うなら、私も負けず劣らずの変わり者だと思う。

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2012年(平成24年)8月26日《第756号》

私は8月が苦手で、毎年この時期になると元気がなくなる。世の中がお盆休みの連休に入る中、仕事柄休むわけにもいかず、さりとて気合も入らないという中途半端な気分である。しかし、今年は中旬までオリンピックがあったので、日本選手の活躍に一喜一憂しながらいつもよりは元気に過ごすことができた▼そんな高揚した気分に水を差したのが、中国、韓国との領土問題だ。メディアにも性格があるのか、テレビよりもラジオのほうが冷静で多様な意見が話されている。その中に「政府を弱腰と非難している人は、戦争まで覚悟しているのだろうか」という意見が耳に残った▼まさか戦争までは…、と楽観もできないだろう。私が子どものころには島の領有権をめぐってイギリスとアルゼンチンが戦火を交えた「フォークランド紛争」が起きている。当時のイギリスはどん底の不況にあえいでいた。そんなことしてる場合じゃないのに…、と思っていたら、テレビに映し出されたのは、熱狂的に戦争を支持する英国民の姿だった▼強気、強気で押した先には何があるのか。戦前の日本は国際連盟を脱退するなど、強気に攻め、国民も熱狂的に支持した。そして敗戦。ナショナリズムの危うさを世界で一番知っているのは、日本人だと思う。

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2012年(平成24年)7月22日《第755号》

九州の豪雨災害で私の実家がある大分県竹田市も大きな被害を受けた▼溢れた川の水で家の前の水田が水没するのは毎度のことだが、今回は水田から50センチほど上の道も水に浸かったという。家は道からさらに1mほど上にある。周辺の古い農家はみな山を背に小高い所に家を作っている。経験値から来る昔からの知恵なのだろう。山がくえる(方言?土砂崩れのこと)ことさえなければ心配はない▼市内の全世帯に避難勧告が出たが、「避難するったって、どこに逃げるの?」と母▼20年前にも大きな水害があった。私は高校から帰れなくなり、駅前にかかった大きな石橋が壊れ、たもとにあったクリーニング店が流されていく光景を目の当たりにした▼川と橋が多いまちだから、下手に移動するのは危険。市役所や高校がある中心部のほうが安全とも言えない。家でじっとしていた方が安全だと思うが、実際に母はそうした▼河川改修が功を奏したのか、今回、駅前はギリギリのところで水害に遭わなかったという▼大きな被害が出た玉来という地域は、バイパス的な国道沿いの郊外で、私の高校卒業後に店舗や住宅が増えた。竹田市の中心部がめちゃくちゃに…と報じているテレビ局があったが、少し違う。報道と現実は異なるものだ。

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2012年(平成24年)6月24日《第754号》

白井市に折立(おりたて)という場所があり、寺社めぐりをしながら、懐かしい気持ちになった。私が生まれ育った大分県竹田市にも折立という場所があり、小学校の行き帰りにいつも通っていた▼私が生まれた家の前には「いぼ水」という名前のバス停があった。家の庭先に丸い巨大な岩があり、岩の上の窪みにたまった水をイボにつけると治ると言われていた。若い女性が岩によじ登って水を汲んでいるのを見た記憶がある▼私の家は一段高いところにあったが、岩が前の道路に転がり落ちそうに出っ張っていて、道路からつっかえ棒をして支えていた。しかし、いよいよ危ないということになり、岩は壊され、撤去されてしまった。「いぼ水」は行政上の地名ではなかったように思うが、いつかその云われも忘れられてしまうだろう▼その後引っ越した場所は「政所(まどころ)」といった。今は番地に変わったので、この地名を口にすることも少ないが、その昔は政務に関係のある場所だったのではないかと思う。城下町からは離れた場所なのに…、と子供のころから不思議に思っていた▼地名はその土地の歴史を雄弁に物語る。番地にしたほうが効率的なのはわかるが、昔ながらの地名も残していくうまい方法はないものだろうか。

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2012年(平成24年)5月27日《第753号》

弊紙でコラムを連載中の根本圭助さんは5月になると調子が悪くなる▼若いころに大親友が不慮の事故で夭折したり、兄のように慕っていた先輩が不幸な亡くなり方をしたのが5月だった。最愛の奥様と弟さんのほか、大切な人がいつも5月に逝ってしまう。そういえば、十数年前に大動脈瘤でご自身が倒れられたのも5月だった▼「草木が芽吹き、動物が活発に動き出す。すごいパワーだと思うんですよね」。まるで自然の生命力が人間の命を吸い取っていくように感じるという▼「今年も5月を乗り切りました」。6月になると根本さんはそんなふうに話す。表情が明るくなり顔色もよくなるから、本心からの言葉だと思う▼私はどちらかというと8月の方が苦手だ。仕事柄、人が連休を取っている時にはたいてい仕事をしているが、どうも調子が出ない。周りがひっそりしていて気合が入らないこともあるが、お盆にも顔を見せない私のことをご先祖様が怒ってるのかな?と思うことも▼先週、大学の後輩が亡くなった。まだ40代に入ったばかり。心臓に持病があったとか。突然のことでまだ実感がない。今年は春にも公私ともに親しかった人をなくしている▼毎日一生懸命生きなきゃなぁ…。新緑を見ながら、そんなことを思うのである。

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2012年(平成24年)4月22日《第752号》

こんなオチャメな独裁者、いますかぁ? 少し語尾を上げて、大阪市の橋下徹市長が話していた▼橋下さんの教育政策についてはどうかと思うところがあるが、原発に関する発言などを見ていると、政府が言っていることよりもずっとまともで、常識的だと思う▼橋下さんが独裁者かどうかは別として、独裁者の代名詞的存在、ナチスドイツのヒトラーは国民の人気を得ていく過程では、ずいぶん魅力的に映っていたようだ。あるいはオチャメだったかもしれない。なんであんな男が? と思うのは後世の私たちから見た目で、あのチョビヒゲの小男がずいぶん女性にモテたという▼第一次大戦の多額の賠償金に苦しんでいたドイツは行き詰っていた。窮地に立たされた国民には、ヒトラーは救世主のように見えたかも知れない▼ミサイル発射実験に失敗した隣国で、指導者に熱狂する国民を見て私たちは首をかしげるが、本心から支持しているのかも知れない▼苦しい時にはより強い個性に惹かれるものだ。今の日本も似たような状況にある▼一方で、独裁国家は数を減らしてきているように見える。メディアの発達で権力者が情報を独占することが難しくなったことも背景にあるだろう▼社会の進歩とともに独裁者はいなくなるのか。そう信じたい。

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2012年(平成24年)3月25日《第751号》

久しぶりに鮮魚(なま)街道を歩く機会を得た。江戸から明治初期にかけ、銚子港で水揚げされた鮮魚は利根川を高瀬舟で運び、利根川の河岸で一旦陸揚げして、江戸川の河岸まで陸路馬の背に乗せて運んだ。鮮魚は江戸川の河岸で再び船に乗せられ、当時既に大消費地となっていた江戸日本橋へ。渇水で関宿を船が通ることが困難になる冬季の話である▼ルートにはいくつかあったが、布佐から松戸までのルートが最も栄えたという。05年の秋に4回シリーズで掲載したが、好評で、その後の街道歩き、寺社めぐり企画のきっかけとなった取材として思い出深い▼スタート地点となる布佐の観音堂には、震災で建物が傷み、危険があるので本堂に近づかないように、との注意書きが。鮮魚街道のシンボル的存在だった藤ヶ谷の常夜灯は倒壊していた。街道の途中で見かけた茅葺き屋根の農家も2軒が姿を消していた▼こうして風景は時の中に消滅し、変わっていくのだなぁ、と実感した。同じ道を歩いても、以前と同じ風景に出会うことはもう出来ない。諸行無常という言葉が頭に浮かぶ▼時の流れは残酷で、変わらぬものなど何もない。人もまた同じ。会える時に会っておかないと、いつか会えない日が来てしまう。一期一会を大切にしたい。

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