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- カテゴリ: わたしのページ
- 2017年9月24日(日曜)09:00に公開
- 作者: 松戸よみうり
ズボンの方が快適でお似合い?
朝夕、急に気温が下がり、秋物を出そうと半衣替えのようなことをしていると、下の方に捨てかねていた夏物のスカートが数枚出てきた。
スカートを履かなくなって、どれほどの年数が経っただろう。今年も法事の時に、黒のワンピースを着ただけである。ましてや、買うなどということは、数十年ないことだ。
街を歩いても、電車に乗っても、スカートを履いている人は数えるほどである。
スラックスは活動的である。男女雇用機会均等法、男女共同参画社会と世の中が移り変わり、働く女性が増えてきて、女性自身がスラックスの方が活動的で働きやすいと実感しているのではなかろうか。
仕舞い込んであったスカートも処分することにした。もっと老いても、スカートは履かないだろう。ゴム入りのもんぺか、ズボンの方が快適で似合うだろう。(ときばあちゃん)
94年後の9月2日に思いを馳せ
先日、両国に用事があり出かけた際、国技館を過ぎ、美しい日本庭園・旧安田庭園を見学した後、横網町公園を訪れた。
東京都慰霊堂(関東大震災と東京大空襲の犠牲者の遺骨が合祀されている)の前を過ぎ、奥まで進むと、レトロな建物が目に入る。東京都復興記念館には震災で被災した物が展示されている。
1923年(大正12年)に起きた関東大震災では、当時発生した台風の強風の影響で、136件の火災の被害は火災旋風により拡大され、10万5千人以上の方々が犠牲となり、東京都の43%が焼失した(犠牲者の約9割が火災によるものだったと伝えられている)。
館内の炭化した生活用品や遺品の展示物には生々しさは感じられず、淡々と見学したが、ある写真の前では足が止まった。
生活用品を大八車に載せ、身動きできないほどの人々で埋め尽くされた上野駅周辺の写真。もう一枚は、累々と積み重ねられた遺体の横で、マスクをして処理にあたる人の写真。物資のない時代に、復興に向けて歩む昔の方々は偉大だったと思う。
関東大震災の22年後には第二次世界大戦でアメリカ軍の攻撃により、この東京一帯が空襲対象となり、10万人以上の犠牲者が出ている。
この記念館を出ると、眩しい日差しの中、鳩がのんびりと歩き、近くの私学の中・高校生たちが楽しそうに雑談しながら駅方面へ向かっていた。
関東大震災発生1923年9月1日、その94年後の9月2日、館内を見学していたのはわたしたちを含め、たった5人だけだった。(二ツ木 Y・I)
是非一度、八尾の「風の盆」を
今年もまた富山県八尾町の「風の盆」の季節が巡ってきて終わりました。
「風の盆」は二百十日(9月1日)二百二十日の台風の季節に「嵐よ、よけて!」という願いからの踊りです。豊作を祈り災害がないようにと…。
9月1、2、3日の3日間祈りを込めて踊ります。八尾の町は、ぼんぼりの灯に包まれ、笠を付けた男性、女性とで町流しをします。笠でちらりとしか顔が見えないところが、とても美しいです。
「富山あたりかあのともしびは、とんで行きたやオワラ灯とり虫」。
唄は勿論のこと、三味線と胡弓に合わせて踊るのですが、味わいがあり、哀愁を帯びた胡弓の音色は何とも言えぬ情緒あふれるものがあります。毎年、毎年、一年間を八尾町の人たちはすべて「風の盆」にかけていると伺いました。
亡き父が、時々「越中おわら節はいいなァ」と言っていました。わたしはその頃、若かったのでその唄の深みがよくわかりませんでした。とにかく唄と踊りは品格があって抜群に思います。優雅の一言です。
この世の憂さを忘れますので一度は八尾の町で胡弓の音と、しなやかな男女の踊りの中にとけこんでみるのもよいと思います。楽しいですよ。(小金原 Y・O)
アシナガバチ想いせつなくなる
今年の5月初旬、隣の空家にアシナガバチの巣を見つけた。
最初は、もの凄く恐怖を感じてオロオロしたが、まずは敵を知ろうと調べてみると、スズメバチほど危険ではないらしい。性格はおとなしく、巣や蜂を刺激しなければ攻撃してくることはなく、十分共存できる存在だと分かった。
また、農作物や庭木に付く蛾や蝶の幼虫などを捕食する益虫だということも知った。
巣からうちの窓まではかなり距離があるので、刺激することもないだろうと営巣活動(子育て)が終わる10月まで見守っていこうと心に決めた。
それでも我が家に蜂が飛んでくることがよくあったので、ちょっと嫌だなぁと思っていた。だが、よくよく観察してみるとアシナガバチだけが来るわけではないことが分かった。
1か月、2か月と経つにつれ、少しずつ巣も大きくなり、愛着もわいてきた。もう少しでお別れだと思うと少し寂しくも感じていた。そんな時、事件が起こった。
9月初旬の朝、アシナガバチの巣がスズメバチに襲撃されたのである。数匹のスズメバチがアシナガバチの幼虫を引き抜き、食べていた。追いやられたアシナガバチは抵抗することなく、近くでじっとしていた。
その後、アシナガバチは巣にとどまり、たまにスズメバチが来ては巣を荒らしていった。そして数日後、アシナガバチは姿を消し、巣は空になった。これが自然の摂理というものなのだろう。残酷だとは思わないが、4か月間毎日見続けてきたわたしとしては、アシナガバチを想い、切なくなってしまった。(稔台 烏賊)
盛大に行われた小金宿まつり!
先月行われた小金宿まつり(8月25日から27日)をご存知ですか?
北小金駅前のタクシープール等をイベント会場として、今年で第22回目の開催でした。北小金は水戸街道の宿場町として栄えた場所です。
初日の金曜日の夜は午後6時より、駅前の2階デッキでジャズフェスティバルを開催。プロのジャズバンドや地元のギタリストなどが登場しました。
土曜日は午後3時から松戸消防音楽隊や小金小学校、幸谷小学校の吹奏楽が旧小金宿街道をパレード(小山ガーデンから駅前交差点まで)。今年は、オープンカー2台がパレードを先導し「こがねこ」と言う小金小のキャラクターぬいぐるみが乗り込み、沿道及び駅前のロータリーで観客に愛嬌を振りまきました(小金小PTA会長、ぬいぐるみの中で大汗をかきながらの奮闘ありがとうございました)。
午後4時からは小金北小、殿平賀小、小金高、小金南中が加わり、駅前にて吹奏楽の競演です。また音楽演奏の合間に今年初めての企画で「松戸手作り甲冑愛好会」様からお借りした、甲冑20組を着込んでの甲冑行列です。子どもたちは子ども会の二ツ木ソフトボールチームが参画してくれました。甲冑は本物と見間違えるほど素晴らしいです。
続いて阿波踊りの連の登場です。地元連をはじめ堀切や越谷の連、8団体が参加しました。北小金駅北口では馬橋連、小金宿連、惣の風連による流し踊り。イベント広場では、途中から一般の観客などが参加して(にわか連)大いに盛り上がりました。
最終日の日曜日は午後4時から駅前のイベント会場で、柏市から「おやじダンサーズ」がパフォーマンス。松戸市役所職員さんを中心とした「ゆーかり楽団」の演奏も。
続いて、地元小金の伝統の御囃子と神楽、獅子舞です。お客様たちが沢山集まり、獅子舞に無病息災を祈り、頭を咥えてもらっていました(お正月の小金八坂神社でも獅子舞に会えますよ)。
午後5時半になり「小金サンバ」が登場。子ども会と小金南中の部活の生徒による、かわいい衣装で披露するサンバに拍手喝采です。6時からは「さんさん音頭」のコンテスト。保育園、幼稚園、わかば園、北小金地域の踊りの会など16団体の参加です。浅野プロ歌手のさんさん音頭の生唄や、中金杉町会による、太鼓の威勢の良い音が響き渡りました。
斎藤農林水産大臣、松戸市長、教育委員長などの審査によるコンテストも行われ、東漸寺幼稚園が知事賞を受賞しました。
午後7時半からのバリ舞踊では、素晴らしいバリの舞踊衣装で登場した4名の美女たちが、観客を魅了。幻想的で見とれてしまいました。
最後は「盆踊り」で締めくくりです。踊りの会と一般の観客が一体となり楽しいフィナーレとなりました。
近隣の皆様、来年は是非ご参加下さい。実行委員、企画部の皆様お疲れ様でした。(小金のしもチャン 65)