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元の発音地名にならないものか

松戸よみうり第810号(2月26日付)のわたしのページ「ヤギリではなくヤキリ」に大変満足と同調感を持ちました。由緒ある地名が歌のひとつぐらいで変えられてしまうことに、大変不満を抱いていました。

同じ類ですが、「八柱」をヤバシラと言い、そして駅名にまでヤバシラと書くことはとんでもない間違いです。八柱は松戸町と合併後には使わなくなりましたが、発音はヤハシラで濁りません。ヤバシラと濁音が入るようになったのは、新京成線ができ、駅名にヤバシラと書かれて以来です。

古くからある地名を勝手に変更することは、先人への冒涜だと思います。わたしは小さな会合でもヤバシラと発音される人には、必ずその場か後で「濁りませんよ」と訂正をお願いすることにしています。

でも、ヤバシラ駅、ヤバシラ医院など標示したままを見ると、大勢には抗し難いことを知り、同時に理由なく改称する不心得を黙って見逃すわけにはいきません。

目から、そして耳から入って来る濁音の地名を何とか元の発音地名にならないものか、といつも気にかけているのです。(松戸 K・I 91

 

河津桜並木を歩き思うこと

松戸の坂川沿いの河津桜を観に行ってきた。どこの河津桜も今年は例年より早いと聞いたので河津桜まつりの11、12日頃には葉桜になっているのではと思いを馳せ、また3月5日午前8時のNHKテレビで、小さな旅「めぐり結んで 宿場の緑~千葉県 松戸市~」を見て、心もそぞろに松戸宿を歩いた。

古民家の一角をそのまま喫茶店として利用していたり、新旧混在した中にも宿場町の賑やかなりし頃の人情が漂ってくるような町並み。河津桜の花びらが舞う中、河津桜並木を歩く。白鷺、カモなどが餌をつついていた。

一つとても残念に思ったのは、水道管の屋根用にとトタンを被せた形で川に渡されていたのが、景観を損ねているように見えたことだ。また、水の少ない川底には泥やヘドロが溜まっていて哀しい。

来年も河津桜を観に来たいものだが、もう少し坂川にきれいな水が流れることを願う。(ときばあちゃん

 

わたしのページイラスト△ゆうくん(高塚新田)

夫婦で競って投句し、一喜一憂

長い間の共働きの後、定年後にテレビの川柳番組を偶然見て、すぐに投句。ある年の1月4日には「百一で新年を祝う母の笑み」という句を、母の微笑む写真とともに映していただきました。

その番組はなくなり、主人は独学ですが、わたしは月一度教室に通い、一年に一度新年号の「松よみ川柳」への投句はもちろん、ラジオや紙面、川柳募集を見つけると競って投句しては一喜一憂して10年になります。

 川柳は 余生を照らす 宝物

 川柳を 余生の友に生きる日々

 今はそんな心境で、毎日の生活すべてが川柳の材料になります。

 古希祝い 次はめでたく 孫嫁ぐ

 孫嫁ぐ 真珠の涙 振りまいて

 孫巣立つ 二人漕ぎ出す 夫婦舟

 お互いの 杖になりつつ 余生生き

1か月に一度、先生と趣味仲間との楽しいひと時は、とてもうれしい時間です。上達はしていませんが、頭の体操、少しでも老化防止になればと思いながら、川柳にはまっている日々です。(松飛台 A・K 71

 

網棚に荷物なくなったのナゼ?

今年になって、ようやく本格的に松戸駅西口のバリアフリー化工事が着工され、毎日、完成予想図を見てはワクワクしています。

でも、本当に着工するまで年数が経過しましたね。

さて、松戸駅から毎日、常磐線を利用していますが、車内では携帯電話を操作しているので、下ばかり見ていて、気付きませんでしたが、先日、1週間程、携帯電話を修理に預けていて、その間は、車内では窓から風景を眺めていました。

ふと目を上に上げたら、網だなの上には何もなく、昔と違って網だなに荷物を置く乗客がいないなあと気付きました。

昔は、カバンや置きっぱなしの新聞紙などが当たり前のように網だなに置いてありましたが、携帯電話を修理に預けていた約1週間、毎日、朝夕、網だなを見ていましたが、荷物を置いている光景を見る事は一度もありませんでした。

何か理由でもあるのでしょうか。自分も自問自答しながらの一時で答えが出なかったので、つい投稿してしまいました。(古ケ崎 A・W 46

 

桜祭りで心も身体もポカポカに

第8回となる松戸宿坂川河津桜まつりに行ってきました。とても気持ちの良い天気で、たくさんの人でにぎわっていました。

炭火焼きの矢切ねぎ、宇宙かぼちゃコロッケ、揚げパン、甘酒などなど松戸の特産物や美味しそうな屋台が並んでいて、その他に野点のコーナーがあったり、朝採れ野菜の販売、竹に入ったお雛様(戸定さくら雛)が飾られていたりして、とても素敵なお祭りでした。

河津桜の花はソメイヨシノに比べ桃色が濃く、太陽の光に照らされるとより華やかに映ります。こんなに綺麗な桜を身近に見れるなんて、日本に生まれて本当に幸せだなぁとしみじみ思いました。

河津桜の後には、しだれ桜、ソメイヨシノなどが開花するので、そちらもとっても楽しみです。

美しい桜を背に美味しい食べ物をいただいて、心も身体もポカポカになれた一日でした。(稔台 すずめ

 

桜前線北上の度思い出す父の顔

あれはもう65年も前の事、僕は小学二年生だった。

学校から帰るとちゃぶ台の横に、お酒と風呂敷包みとゴザがあり、その横にいたお父ちゃんが、突然「花見に行こう」と声をかけてきました。

二日前の町のお花見に、お父ちゃんが行けなかったのは知っていたけれど、二人だけでお花見に?

僕は「いやだ」と言い出せなくて、普段から寡黙なお父ちゃんの後をトボトボと…。サトちゃんやレンちゃんと、サッカーをした方がよっぽど楽しいのに。

宴の終わった桜並木は閑散としていて、破れたぼんぼりやゴミが散乱していました。不精髭のお父ちゃんは、「どっこいしょ」とあぐらをかき、チビチビと飲み始め、時々散り始めた桜を見上げていました。

お母ちゃんが用意した重箱には、煮物のシイタケとゆで卵、そして色鮮やかなタクアンと蒲鉾が並んでいました。

僕は暇を持て余し、河原の石ころを蹴ってみたり、無意味にウロウロ歩き回りました。だけどすぐあきてしまい不機嫌な顔で「早く帰ろうよー」を繰り返しました。

顧みればその時父の目には、僕がどんなふうに映っていたのだろうか。桜前線が北上し始めると、目のちっちゃかった父の顔が浮かんできます。いくら退屈だったとは言え、いくら幼かったとは言え、何と親不孝な振舞いを…。(今は昔 73

 

再び脚光浴びる矢切の渡し

「つれて逃げてよ…」「ついておいでよ…」で始まり、「夕ぐれの雨が降る矢切の渡し」、「北風が泣いて吹く矢切の渡し」、「揺れながら艪が咽ぶ矢切の渡し」と、石本美由起の詞で、先般逝去された船村徹が作曲したことから再び人気上昇機運に乗ってきた。細川たかしが歌って大ヒットした「矢切の渡し」である。

矢切は、公称地名は「やきり」と清音だそうだ。駅名もバス停も「やぎり」と言っている。やはり歌謡曲「矢切の渡し」でも「やぎり」と歌っていることから「矢切(やぎり)」に定着した。

この渡しは、江戸時代初期に江戸幕府が地元のために設けた利根川水系河川15か所の渡し場のひとつで、かつては官営だったが、その後民営となり、代々個人によって運営されている。今は観光用だが昔は矢切~柴又の重要な足だったという。

この渡しが有名になったのは、明治時代の伊藤左千夫の小説「野菊の墓」によるところが多い。映画化されて「野菊の如き君なりき」の初恋物語と、矢切の対岸柴又を舞台とする映画「男はつらいよ」のシリーズで、しばしば登場したことも大きい。

地味な存在だが、「矢切の渡し」の脚光は、松戸市民にとってはうれしいことだ。(高塚新田 松毬

 

誰もが待ちわびる桜の季節

いよいよ日本中の誰もが待ちわびた桜の季節が訪れます。花の中で桜ほど開花を待たれる花はないでしょう。

3月末の彼岸桜に始まり、その後、人の集まる所で話題は桜の開花のこと。一輪咲いた、一分咲き、五分咲き、満開と喜びは尽きない。

吉野の山で義経と静御前が涙ながらに別れたのも、この頃でしょうか。「別れにし、人はいずこと、み吉野の、吉野の山に花は散る」と歌われています。そして、風吹くなと皆に惜しまれ散り果てる。追う様に山桜、八重桜と咲き、そして葉桜となり夏は日陰を作り、人々を暑さから守り、秋に紅葉となり、またも人々の目を楽しませてくれる。

わたしたちも、どんなに小さなことでも、今自分にできる自他共に喜べることをして、日々過ごしたいと思います。(小金原 喜びの花

 

大切にしたい昔からの風習

3月3日「ひなまつり」。昔はひな壇を作って女の子のお祝いをしていましたが、現在は簡素化し、ケースに入った対のお人形で祝っています。

わたしは田舎育ちですが、白酒を小さい頃飲んで、まずく嫌な思いをしたことを思い出します。

昔からの風習「ひなまつり」。これからも長く続けていくように、子どもの成長を祈っているこの頃です。今年も「平和」というぼんぼりに灯をともして願っています。(胡録台 匿名希望