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2010年(平成22年)10月24日《第730号》

久しぶりに寺社めぐりの取材で知らない街を歩いた。夏場に取材し、秋に掲載の予定だったが、今年の夏は暑すぎて、とても自転車のペダルをこぐ気にはなれなかった▼この暑すぎる夏は、秋に大きな後遺症を残した。野菜価格の高騰、サンマの不漁、局地的な大雨、そして連日の熊出没のニュースである▼ケガをされた方には本当にお気の毒に思うし、やむを得ないことなのだろうが、「熊を射殺」と聞くと胸が痛む。もともと熊のエサとなるドングリが不作の年にあたっている上、猛暑で木の生育も悪かったとか。害虫が原因で木が枯れているという話も聞く。ドングリは昨年豊作で、たくさんの熊の子どもが育ったという悪循環も▼ドングリの豊作不作の周期はある程度予想ができ、今年は熊が人里まで下りてくることが予想されていたという。ならば、事前に対策を打てなかったのだろうか。出てきたら殺す、の対処療法の繰り返しでは策がなさすぎる▼遠くから見ているだけで、おまえは何をしたの?と批判されそうだが、あえて言いたい。山にエサのドングリをまく活動をしている人もいるが、あくまで善意のボランティアだ。環境と人の安全を守るため、命と自然に優しい社会をつくるため、国として対策を講じるべきだと思う。

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2010年(平成22年)10月10日《第729号》

民主党の小沢一郎氏が検察審査会の議決で強制起訴されることになった。政治資金規正法違反容疑▼市民による審査会がある程度の力を持つことは、司法に市民感覚を反映させるという意味では良いことだと思う。検察が2度不起訴にした後の議決。今まで検察は120%有罪にできると確信したときに起訴してきたという。日本の裁判では無罪判決が出ることは、非常に少ない。マスコミや私たちも、起訴=有罪のように扱いがちだった▼審査会は十分に疑念が残るから、起訴議決にしたのだと思う。裁判で有罪に出来るかは別として、裁判を通して真相を究明して欲しい、そんな思いがあったのではないだろうか▼これからの裁判では、起訴されても裁判で無罪になるというケースが、往々にして出てくるかもしれない。ある意味、正常なことだと思う。私たちも、起訴されたからといって、すぐに犯人扱いすることは慎まなければならない▼だが、国会は野党を中心に小沢、小沢の大合唱。まるで有罪判決が出たかのようだ。証人喚問をめぐって、またぞろ空転の兆しも。中国との外交問題、円高対策と、他に議論すべきことは山ほどある、というのに▼いいかげん、ウンザリしてきた。小沢さんのことは、裁判所に任せておけばいい。

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2010年(平成22年)9月26日《第728号》

ある女性作家が全く面識のない有名人との色恋を某女性週刊誌に書かれ、その顛末(てんまつ)を自身のエッセイに書いていたのを読んだことがある▼一部の週刊誌は、最初に見出しが決まっていて、それに添うように取材をするのだという。最初から結論や方向性は決まっていて、ストーリーに合う材料を集めてくるのが取材というわけだ。件の女性作家のケースはもっと酷い。記者が机の上で想像をめぐらし、創作した話を載せたのだと思う。同じ記事を書く人間として、ちょっと信じられない話だ。こういうのを三流週刊誌という▼この三流週刊誌と同じことをしたのが、大阪地検特捜部だ。郵便割引制度を悪用した偽証明書発行事件で、厚生労働省の元局長・村木厚子さんを逮捕。描いたストーリーに合うように、検事が関係者を誘導して調書を作成したと裁判所に判断され、全面敗訴。あろうことか主任検事が証拠のフロッピー・ディスクを改ざんした疑いで逮捕された▼この主任検事は、小沢一郎氏の政治資金規正法違反事件など多くの事件にかかわっているという。これらの事件の捜査は大丈夫だったのか▼個人の問題か、組織の問題か。検察がおかしくなったのは、いつからなのか。多くのえん罪事件の名が頭をよぎる。

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2010年(平成22年)9月12日《第727号》

「日本は戦争に負けてよかったんだよ」と祖母が話していた。祖母には姉がいるが、美人なのに若い時から総入れ歯だった。終戦後、ソ連軍が攻めてきて、命からがら満州から息子を連れて逃げてきたが、その時の苦労で歯が全部ダメになった▼戦後65年間、日本は戦争をしていない。勝ったアメリカはずっと戦争を続けている。「正義の戦い」の味が忘れられないのか、朝鮮、ベトナム、アフガン、イラク…、ときりがない▼韓国に対して日本はずいぶん酷いことをした。が、ベトナムでは、韓国軍が米軍とともに残虐行為を行った。戦争が人を狂わせるのだ▼原爆を作ったのは、アメリカに逃れたユダヤ人学者たち。「ドイツ憎し」で、開発競争に没頭した。日本人の外交官・杉原千畝は、「命のビザ」を発給して多くのユダヤ人の命を救った。シンドラーとともにユダヤ人にとっては恩人だ。自分たちが開発した原爆が、その恩人の国に落とされることになろうとは▼アフガンでの戦闘で、米軍はロボット兵器を大量に投入している。衛星を使ってアメリカ本土から遠隔操作。「安全だし、ゲームみたい」とインタビューに答えた若い兵士が笑っていた▼因果応報。憎しみの連鎖は、いつ彼らに牙をむくかも分からないというのに。

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2010年(平成22年)8月22日《第726号》

NHKの俳句の番組を見ていたら兼題が「蜚●」(●は虫ヘンに廉。Web上で表示不可)だった。ゴキブリである。こんな字を書くのだ。この日の主宰が研究者で、「言われているように不潔でもないし、かわいいものですよ」と話していた▼出席者たちの句は、何のためらいもなく命を奪う事への後ろめたさや、恐竜の時代からほとんど変わらぬ姿で生きてきた生物への畏敬を詠んだものなど。それでも詠まれた姿を想像すると、心穏やかではない▼ゴキブリが恐竜とともに生きていた2億5千万年前の地球には、一つの巨大な大陸があった。それが地殻変動で分裂、移動し、今の五大陸と島々になった。長い海岸線が生まれ、生物にとっては住みやすい環境が生まれた。今でも大陸は動いていて、あと2億5千万年たつと、また一つの大陸に戻るのだという▼日本は韓国や中国、アメリカとくっついてしまう。大変だ。そんな小さなことを考えていたら、雲が内陸まで来ないため、砂漠化し、海はバクテリアの影響で酸素のない、生物の住めない環境になってしまうのだとか。人間は死に絶えているかもしれない▼今年の夏はとにかく暑い。地球温暖化の影響か。でも、もっと大きな環境の変化が地球によって起こされる。その時もゴキブリは生きていて、どんな目で地球を見るだろうか。

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2010年(平成22年)8月8日《第725号》

安野侑志さんは子どものころに見た紙芝居がきっかけでプロの紙芝居師になった。疎開先で生まれ、帰京して紙芝居に出会った。都会の生活になじめない少年の心を、紙芝居が別世界に連れていってくれた▼根本圭助さんは、家の近くに憧れの先生が引っ越してきたことを知って、小松崎茂の弟子になった。根本少年が出会ったのは、少年誌に「絵物語」を連載する超売れっ子作家だった。絵物語は紙芝居を雑誌上に表現したもので、戦後10年間が全盛。根本さんは、今でも挿絵や絵物語に熱い想いを抱いている▼昭和40年生まれの私は、トキワ荘で育った漫画家たちの作品に夢中になった。好きが高じて漫画家になろうと思い、雑誌に投稿を続けた。今のような仕事をしているのも、「漫画家にはなれなかったけれど、インクの匂いのするところで働きたい」と思ったからだ。少年時代にかいだ、新刊の匂いが忘れられなかった▼子ども時代は、ほんの数年にしかすぎない。が、そのころに見て、感じたものは人生をも左右する。最近、幼い子どもを巡る痛ましい事件があった。あの子たちが最期に見たものは何だったかと思うと、胸がつぶれる思いだ▼私はごく普通の少年時代を過ごした。今は、その「普通」を与えてくれた親に、感謝、感謝だ。

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2010年(平成22年)7月25日《第724号》

恐竜の絶滅とほ乳類の繁栄を描いたNHKの番組を興味深く見た。恐竜の時代、私たちの祖先のほ乳類は、ねずみのような小さな生物で、危険の少ない夜に昆虫などを捕食して生きていた。巨大な隕石の衝突で地球環境が激変。恐竜は死に絶え、ほ乳類の時代がやってくる。恐竜時代にほとんど進化できなかったことが、ほ乳類にとっては幸運な結果を生んだという。ほ乳類には進化の伸びしろが十分に残されていた。からだの形状など種類が爆発的に増え、その中から人間も生まれた▼「この世の終わり」や「地球最後の日」を描いた映画を時々見かけるが、人間が恐れるこの世の終わりは、決して地球最後の日ではない。巨大隕石が落ちた日は恐竜にとっては「この世の終わり」でも、人間にとっては「この世の始まり」だった。もし、隕石が落ちるという偶然が起きなければ、今でも地球を闊歩しているのは恐竜たちで、ほ乳類は小さなねずみのような姿のままだっただろう▼40億年という生物の歴史の中で、人間の歴史というのはほんの一瞬にすぎない。もし人間が誕生しなければ、地球全体に昔のアフリカのような「野性の王国」が広がっていただろう。地球にとっては、どちらが良かったのか。もっと私たちは謙虚になるべきだろう。

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2010年(平成22年)7月11日《第723号》

ある政党のテレビCMを観ていて思ったのは、今の日本はダメで、昔の日本は良かったと思っているのだろうな、ということ。良かったころの日本って、いつごろなのだろう。東京五輪のころか、バブルの時代か▼私が子どもだったころは、激しい受験競争が批判されていた。どこか息苦しい時代。大学を卒業して就職したころは、まだバブルの中で、とにかく残業が多かった。終電近くなのに、オフィス街には明かりがこうこうとついていた。「24時間戦えますか」という栄養ドリンクのCMが流行ったころだ。経済的に豊かになれば、みんな幸せになれると固く信じて走り続けてきた戦後の日本が、ある意味頂点にたどりついた時代。でも、そこから見た景色は、本当に幸せだったのか▼ふと、欧州北部を見ると、経済大国と呼ばれたことがないのに、幸せそうな顔をした国々が並んでいる。消費税が25%という国もあるが、国民の満足度は高いという。高福祉で老後の心配がないから、貯蓄をする人が少ない。お金が回るから高税率でも景気が落ち込まないのだという。税金の使い道がはっきりしていれば国民も納得する▼日本が将来、世界で何番目の経済大国とか呼ばれなくなったとしても、国民が幸せな顔をしていられたら、と思う。

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2010年(平成22年)6月27日《第722号》

サッカー観戦で寝不足である。ワールドカップ前の練習試合では連戦連敗。正直、予選リーグは3連敗であっさり終わるかと思っていた。ところが、みなさんご存じの通りの大活躍。この原稿を書いている25日早朝の試合でデンマークに快勝し、2大会ぶりの決勝トーナメント進出を決めた▼大会前に岡田監督が進退うかがいをしたというエピソードがウソのようである。猫をかぶっていただけで、連敗しながらも、ちゃくちゃくと準備を整えていたとしたら、すごい人だ。忠臣蔵の大石内蔵助のよう。あなどりの目で見ていた私も謝らなければならない▼松戸駅西口で山崎直子さんのパレードが行われた日の同時刻、東口では本郷谷健次氏が街頭演説をしていた。西口の山崎さんを乗せたオープンカーの後ろには、現職市長を乗せた車が。西口と東口の華やかさの違いを肌で感じながら、本郷谷氏の写真も2枚だけ撮った。その1枚が1面掲載の写真である。正直、この写真を使えるチャンスが来るとは、撮った本人も予想していなかった▼インタビューでお会いした本郷谷氏は、激しい選挙戦で、少しお疲れの様子だった。腕まくりした腕は日に焼け、皮がむけていた。問題山積の松戸市。初心を忘れずに、予想を上回る活躍を期待したい。

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2010年(平成22年)6月13日《第721号》

庭先で小さなぬめりのある体が甲高い鳴き声をたてていた。野良猫が生んだのだ。避妊手術を施そうと、捕まえる作戦を練っていた矢先の出来事▼親が世話をしている様子がない。体が冷たくなっている。ぬるま湯で体を洗い、子猫用のミルクを針のない注射器で口に含ませた。4匹猫がいるので、一通りの道具があった。といっても、へその緒がついた目も開いていない新生児は初めて▼体が乾くと猫らしい産毛がフサフサとしてきたが、耳はたおれ、人のように目の横についている。手のひらの中でおもちゃのような体がワヤワヤと手足を動かす様は、人のようにも見える▼仕事の合間をぬって、3〜4時間ごとにミルクを与えたが、翌日午後から元気がない。ネットで調べると、温度と湿度が足りないようだ。ペットボトルで湯たんぽをつくり、カイロと温度計、湿度計を買いに出た▼帰ってみると、小さな体は既に冷たくなっていた。ミルクのやり方に問題があった。脱水、低血糖も。なにより早く、医者にみせるべきだった。甘かった。私が殺してしまったようなものだ。やり場のない想いが、何日も支配した▼うちにいる猫たちは捨てられたとはいえ、母乳を飲み、離乳後に私のところに来た。目の前にある命が、奇跡のように思えた。

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2010年(平成22年)5月23日《第720号》

久しぶりにNHKの朝の連続ドラマを見ている。漫画家・水木しげる夫妻の若き日の物語だ▼根本圭助さんに水木さんの若いころの話を聞いていたので興味があった。水木さんは一時期、本の編集のようなことをしていたことがあり、原稿をとりに柏の小松崎茂邸まで来ていた。根本さんは小松崎茂の弟子である▼昔を描いたドラマは面白い。今とは違う昔の生活を垣間見ることができて新鮮な驚きがある。ひとつ大きな謎が解けた。水木夫妻はお見合いからわずか5日で結婚する。昔は2、3回会って決めるなんてことはざら、と親に聞いていたが、どうしてそんなことができるのか、と不思議に思っていた。初回から3週は奥さんの娘時代が描かれる。商家の娘としての厳しいしつけ。「どこに出しても恥ずかしくない娘」を育てるために両親は心をくだく。嫁ぐまでの28年間がずっと花嫁修行のようだ。親が保証書をつけているようなもの▼私は家電を買うとき、日本のメーカーならまあどこでも大丈夫だろう、ぐらいの気持ちで選ぶ。それは品質が一定のレベルで安定しているからだ。昔は、相手の家庭の雰囲気を見れば、まあ間違いないだろう、ということで結婚に踏み切れたのではないだろうか▼男は楽チンに見える。うらやましい。

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2010年(平成22年)5月9日《第719号》

奪衣婆座像や、閻魔大王像など旧野田市を歩いていて「十王信仰」という言葉に出会った。十王は冥界に来た亡者たちを裁く、閻魔大王など十人の王たちのこと。また、浅間神社や富士塚も非常に多く、富士信仰が盛んな土地柄なのかと思った▼松戸からは柏経由、東武野田線で30分くらい。同じ東葛にある都市で、松戸とはそれ程の違いはないと思っていた。こんな近場でも、歩いてみると地域の特色が意外とあるものだ▼西三ケ尾の浅間神社と琴平神社を訪れて、なんだか恐くなった。ひっそりとした静かな木立の中に、参道と遠くに小さな社殿が見える。周囲には誰もいない。森全体が霊気を帯びているというのか、圧迫感を感じた。その感触は、取材を終えた後も、しばらく残っていたほどだ▼昼なお薄暗い場所に一人、という経験が少なくなったせいか、敏感に感じたのかもしれない。子どものころは、こんな場所がそこかしこにあって、夕暮れ時など急に恐くなって走り出したものである▼閻魔様も、冥界の入口で一人ひとりに詰問し、うそを言うと舌を抜かれる。悪いことをすると地獄に落とされると聞いて、震え上がったものだ▼暗い場所も、恐れも忘れた現代に慣れた体が、久しぶりに人智を超えたものの存在を思い出した。

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2010年(平成22年)4月25日《第718号》

友達に大の巨人ファンがおり、「報知(新聞)に行けば?」と言ったことがある。彼はプロ野球全般に詳しく、ほかの11球団のこともよく知っていた。巨人担当になれば、この上ない幸せなのではないか▼まだシューカツ(就活)という言葉のないバブルの頃の話である。彼は中堅の保険会社に就職した。東京ドームの外野フェンスに就職した会社の名前があることを、ちょっと誇らしげに話していた▼私はというと、会社は小さくても自分のやりたい仕事に、と思い、出版社を受けていた。自分にこれといった特徴がないことが改めて分かり、面接では苦戦。法律系の出版社に入ったが、社風になじめず、約3年で退社して、小さな編集プロダクションを転々とした▼バブル崩壊。程なく彼の会社が倒産したというニュースが飛び込んできた。私の冷飯はある意味覚悟の上だけれど、彼は違う。彼は育った家庭環境もあって、やりたいことよりも、むしろ安定を求めていた▼地味だけど安定しているとか、逆に面白いけど、明日をも分からない、とか。人生の選択には「こういう覚悟で来なさい」という前提がある。しかし、のぼったはしごを外されるように、ふいにその前提が壊れることがある。理不尽にも感じるが、世のならいというものなのか。

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2010年(平成22年)4月11日《第717号》

わが家の4匹の猫のうち1匹は猫エイズ=猫後天性免疫不全症候群だ。子猫の時に道端で衰弱しているのを拾った。恐らく母子感染▼医者には、他の猫と遊ばせないこと、食器も分けるように、と言われている。仲良く身体をなめあったり、同じ食器で食事をすると、他の猫に感染する危険性がある、というのだ。家の中で隔離しておくしかない。ちなみに、人間にはうつらない▼ところが、私が親しくしている愛猫家に「そんなの、ほかの猫と遊ばせても、同じもの食べても大丈夫よ。SEXしたり、血みどろのケンカをしないかぎり大丈夫」と言われた。彼女は数十匹の猫と暮らし、恐らく百を超える猫を看取っている。医療費がかさむからと、自分の動物病院を開設したほどだ。その彼女が言うのである。説得力がある▼人間のエイズでもキスではうつらない。うちの猫は全員雌だし、ケンカもしない。数年から十数年の潜伏期間があり、寿命が先にくるかもしれない。現実的には狭い家の中で1匹だけ隔離しておくのは難しい。遊びたい盛りの猫と人間の精神安定上もよろしくない▼件の猫は1歳半となり、今は他の猫とも遊ばせている。夜は4匹とも私の布団に入って寝る。重くて寝返りが打てず、私は別の意味で悪夢を見ることがある。

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2010年(平成22年)3月28日《第716号》

寺社めぐりの取材で神社・仏閣を歩いていると、力石(ちからいし)という楕円形の石が奉納されていることがある。娯楽の少なかった昔、村の力自慢の若者が力試しのために石を持ち上げたのだという。16世紀ごろの記録もあるというが、江戸時代から明治時代にかけて、盛んに行われたらしい▼山や石、水や樹木など様々なものに神が宿ると感じる日本人は、目に見えない「力」というものにも、何か神聖なものを感じてきたのではないだろうか。力を出すために鍛練された肉体は美しい。その肉体にも神聖なものが宿ると考えてもおかしくはない。自然崇拝(アニミズム)が残る日本人らしい感覚だと思う▼大相撲の横綱が鍛えられた肉体に大きな綱を巻いている姿を見ると、このことを実感する。綱をしめた白鵬の姿は美しい。朝青龍がいなくなった今場所は、テレビの視聴率も下がり、寂しいという声も聞かれる。力士に神聖なものを求める日本人の感覚を、外国人に理解してもらうのは難しかったのかもしれない▼でも、場外乱闘はもういいのではないか。残された一人横綱の白鵬も頑張っている(この原稿を書いている12日目までは全勝)。大関昇進がかかる把瑠都も1敗で追う。ニューヒーローの登場に期待したい。

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2010年(平成22年)3月14日《第715号》

日本のイルカ漁を批判した映画が米アカデミー賞を受賞したり、日本の船に侵入した反捕鯨団体「シー・シェパード」のメンバーの男が逮捕されたりと、捕鯨にまつわる問題が騒がしくなりそうだ▼幕末に黒船で来たペリーが開国を迫ったのは、日本を捕鯨船の薪水の補給基地とするため。日本人が沿岸で古式捕鯨をやっていたころ、米国は巨大捕鯨船団を世界中の海に展開し、クジラを捕りまくっていた。そもそもこれがクジラ激減の原因で、「あなたにだけは言われたくない」と思う。米国の目的は鯨油(石油の登場で必要なくなった)で、ほかは捨てる。日本人はそんなもったいないことはしない。天の恵みとして血の一滴まで使う▼子どものころ、長崎の漁港にイルカが迷い込み、逃がそうと漁民が奮闘した姿が、「虐殺している」と誤って海外に伝えられ、米国の有名女性歌手が日本公演をキャンセルした。そうした過剰反応を見るたび、人種偏見が根底にあるのでは、と疑いたくなる▼一方で、どうしても鯨肉を食べたいか、というと私はそうでもない。クジラは増えているのか減っているのか。マグロも規制の対象になり、回転寿司では食べられなくなるという。感情論は抜きにして、海洋生態系の議論を冷静にすべき時なのでは。

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2010年(平成22年)2月28日《第714号》

どうも落ちつかない金曜の朝である。午後1時半頃に女子フィギュアスケートのフリー演技で、韓国のキム・ヨナと浅田真央が雌雄を決する▼結果を見て書ければよいのだが、演技が始まった頃には、原稿はパソコンから東京の印刷会社に送られ、輪転機(印刷機)が回るのを待つばかりとなっている。皆さんは、もちろん結果を御存知のはずで、さてどうなったでしょうか?▼冬の五輪はやっぱり面白い。「滑る」競技が多いせいか、スピード感がある。しかし、私が一番見たのはカーリングだ。戦略を考えながら3時間もかけて行われる。「氷上のチェス」と言われるゆえんだ。06年のトリノ五輪で注目を集め、今回は新聞の一面を飾ることも多かった▼日本チームは予選9試合のうち後半3試合をギブアップで敗れ、準決勝に進めなかった。他の競技のギブアップ(あきらめる)とは違い、カーリングの場合は相手の技術を認め、讃えるという意味があるのだという。「相手のミスを願うのではなく、スーパーショットには拍手を送って、カーリングの醍醐味を味わってください」。解説の方の言葉が印象に残っている▼キム選手と真央ちゃんも、お互いにノーミスで、その結果、真央ちゃんの胸に金メダルが輝いていたら、最高なのだが。

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2010年(平成22年)2月14日《第713号》

土曜の夜にNHKハイビジョンで放送されている「刑事コロンボ」を楽しみにしている▼アメリカのTVシリーズとして、68年〜78年に45本、89年〜03年に24本の計69本が制作された。1作目は私が幼児の頃だが、今見ても新鮮だ▼1本80分程で1話完結。始まって10分か20分はコロンボが出てこない。まず事件が起こり、次にコロンボの登場となる。最初から犯人は分かっているわけで、コロンボが鋭い観察眼と緻密な推理で犯人を追い詰めていく。こういう手法をミステリーでは「倒叙物」というのだそうだ。日本では「古畑任三郎」がこのタイプ▼このドラマの魅力はピーター・フォーク演じるコロンボの個性によるところも大きい。ヨレヨレのレインコート姿でボサボサ頭。愛車プジョーはボロボロで今にも止まりそう。「ウチのカミさんが」が口ぐせの愛妻家だが、カミさんが登場したことはない▼コロンボは殺人課だから必ず殺人が起きるわけだが、その行為はほとんど映らない。コロンボ自身、血を見るのが嫌いで、銃も撃ったことがない▼メモ魔でなんでもメモするくせに、よくペンを忘れて人から借りている。私もよくペンを忘れて取材先で借りることがある。なんだか似てるなぁ、などと思い、クスッとおかしくなる。

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2010年(平成22年)1月24日《第712号》

年末に準備をし、年明けに新年号を出すので、年末年始はいつも落ちつかない。今号を出したあたりで、やっと、新しい年が始まったなぁ、などと実感する余裕が出てくる▼特に今年は落ちつかなかった。新年号を見て、あれ? と思われた方もいるかもしれないが、毎年の目玉のひとつ、根本圭助さんの特集がない。心臓の大動脈瘤の手術をするため、都内の病院に入院されていた▼実は、今年も企画を立てていた。根本さんもやる気満々で、さあこれから書くぞ、という時に体調が悪化し、術後の状態も分からないということで、やむなくお蔵入りに。その企画とは…、いつか蔵から出して日の目を見させることを夢見て、ここでは書くまい▼高齢のうえ、大動脈瘤のある場所が場所だけに、予断を許さなかった。打ち合わせをしながら、「まさかこれが最後にならないでしょうね」などと言い合った▼「東葛の寺社めぐり」で名都借の広寿寺を歩いている時に原稿断念の連絡をいただいた。流山の神仏を訪ねながら、とうとう根本さんを見舞う時間を捻出できず、不義理をしてしまった▼年が明けても根本さんと連絡がつかない。7日にやっと声を聞けた時は、心底ホッとした。長時間の大手術は成功。元気とのこと▼根本さん、お帰りなさい。

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