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「負け犬の遠吠え」の著者が考察する未産女性の人生

子の無い人生 酒井 順子 著

子の無い人生の写真角川書店 1300円(税別)

14年前に出した「負け犬の遠吠え」が大きな話題となった酒井順子さんのエッセイ。私が酒井さんの作品を読むのは「ユーミンの罪」(2013年・講談社)以来。

酒井さんは、「負け犬の遠吠え」の中で、「未婚、子ナシ、三十代以上」の人を「負け犬」と定義していた。その頃、「私は結婚しているのですが、子供はいません。こんな私は、負け犬なのでしょうか?」という質問が意外と多かったという。当時の酒井さんは「子供がいようがいまいが、結婚しているなら勝ち犬に決まっているじゃないの」と思っていた。しかし、今はそうした人たちの気持ちも分かるようになったという。結婚した人には「子供はまだ?」というプレッシャーがかかり、一人目を産めば、「二人目は?」というプレッシャー。二人以上の子を持って初めて、結婚は完成したとみなされるらしい。

酒井さんは、40代になって、女性の人生の方向性には「結婚しているか、いないか」よりも、「子供がいるか、いないか」という要因の方が深くかかわる、ということが、やっとわかったという。

酒井さんは1966年生まれで、私は65年生まれなので、まさに同世代。性別の違いはあれど、同じ独身、子ナシ族として、共感できるところが多々あった。ただ、こうした問題は、個々で感じ方に違いが出るもので、もちろん違う面もある。

「子ナシ男性の場合」の中に出てくる、酒井さんの身近にいる男性子ナシ族の話。「今は自分が中心の生活をしていたい」「自分がしたいことを、『子供がいるから』という理由で妨げられたくない」「女性と交際しても、『子供が欲しい』みたいなことを言われたら一気に引く」という「やっぱりね」的な意見が聞かれたという。ところが、私の場合は真逆。私なら、交際している相手から「子供が欲しい」と言われたら、一気に相手の株が上がる。この章では、子がいないということに対する男女間の感覚の差について書かれているのだが、少々、違和感を感じた。私が男性として変わっているだけなのかもしれないが…。

酒井さんの文章は読みやすいが、だからといって内容が軽いわけではない。本土よりも中国に近く、儒教思想の影響が色濃く残っている沖縄まで取材に出かけ、沖縄の墓事情や未婚の女性について考察したり、首相夫人では初めての「子ナシ族」である安倍首相夫人の昭恵さんにも話を聞いている。さらに、少子高齢社会の今後にも思いをはせている。まだ出産の前提に「結婚」がある我が国では、結婚をしないで子を産むことにかなり高いハードルがある。結婚しなくても子どもを産む人が多いフランスや、養子を持つことが珍しくない欧米社会との比較は、なるほどな、と思わせる。

酒井さんの本で、私自身のことにも色々と思いを巡らせた。

ゴールデンウィーク中に実家に帰った。父は「まだ結婚しないのか」と「メシはまだか」ぐらいの軽い感じで聞いてくる。物忘れがひどく、40分の間に同じことを3度聞かれた。父母は見合いを含めても結婚までに3度しか会っていないという。今の時代に父が青春時代を送っていたら、案外、私のように独身だったのではないか、と思う。

同じく見合い結婚した漫画家水木しげるの奥様を主人公にした「ゲゲゲの女房」をテレビで見た時に、ずいぶんこの時代の男は得な存在だったのだなぁ、と思った。

太宰治は、アル中の上に女好き、小説家という不安定な仕事をしていたのに、精神病院を退院後、友人の紹介で結婚し、彼の人生では比較的安定した一時期を送っている。いかに人気作家とはいえ、現代ならありえない話ではないだろうか。

中学時代の同級生2人とも酒を飲んだ。2人とも女性で、1人は独身。もう1人は高校卒業後にすぐ結婚をしたが、今は別れている。子どもは複数いたと思う。独身女性の方に「今でも結婚のことを言われない?」と聞いてみると、「母はいまさら嫁に行くより、家にいてほしいみたい」との答え。人生の終わりが遠くの方に見えはじめた私たちの世代。結婚よりも、親の介護の方が現実的な問題に思えるのは私も同じである。

親子の世代があまり変わらない価値観で過ごせた時代というのはあったのだろうか。

私が大学に進学したころ、社会科学系の学部には女子がほとんどいなかった。しかし、今では総合大学でも4割から5割が女子学生だという。この30年でも私たちの世代とは大きな違いがある。彼らはどんな結婚観を持ち、どんな未来を描くのだろうか。