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性愛と死の影を描く重厚な30編の掌小説

求愛 瀬戸内 寂聴 著

求愛の写真集英社 1300円(税別)

体調不良のため、今月号も根本圭助さんのコラム「昭和から平成へ」はお休みした。根本さんは昭和10年生まれの81歳。初めてお会いしたのはもう17~18年前で、まだ元気な60代だった。連載をお読みの読者にはもうお分かりかと思うが、根本さんはなかなかに恋多き方である。定期的にお会いし、お宅でよもやま話などをするようになって、一番びっくりしたのは、人間はいくつになっても恋をするということだった。いや、ひょっとすると、だれでも、というわけではないかもしれない。私の父も同じ昭和10年生まれだが、父母からは恋愛の香りが全くしない。だから、根本さんの話しは、どこか別世界のことのように感じていた。

本書の著者の瀬戸内寂聴先生は大正11年生まれの94歳。この欄は一応書評を書く欄だが、私などが評するなどおこがましいと感じられ、今回はあくまで一読者の感想ということで書かせていただく。

短編と言うにはあまりに短い数ページの掌(てのひら)小説が30編掲載されている。数ページの掌小説の場合、ともすると物足りなさを感じるものだが、本書の作品は読後に登場人物の背景や生い立ちを考えて、余韻を感じる重厚さがあった。

男女の性愛を描き、どの作品にも死の影がある。最初の数編を読んで、私はこのまま読み続けられるか不安になった。前にも書いたが、私は不倫をしている人が嫌いである。感情移入が難しい。ところが、この作品の登場人物は100%と言っていいほどの不倫の常習者である。結婚しても浮気が止まらない人たち。ほとんどビョウキである。犯したり、愛人と逃げたり、子どもを捨てたり…と背徳の極み。

「どりーむ・きゃっちゃー」という作品では、交接の最中の男の携帯に別の栞(しおり)という女性から電話がかかってくる。栞は「九十一歳とは信じられない外見の若さだが、特に声は、はりがあって高く若々しい」。出会った時、栞は八十四歳で、「おれ」は四十三歳だったという。うーん。こういう恋愛もありうるのかな。私には想像もつかない。あるいは、寂聴先生の願望なのだろうか。登場人物は小説家や編集者、また高齢者が多い。著者の実体験、もしくはモデルがいる感じがする。

読んでいて、登場人物の会話の言葉遣いなどから、少し前の話しなのかな、と思っていると携帯が出てきて、最近の話しなのだと気づかされる。

表題作の「求愛」では、新幹線で偶然隣席となった高校時代の同級生の「おれ」と「きみ」は、「声を出すのが気がひけるので、お互いケータイを取り出して軀を寄せあい、メールで語りつづけた」。普通、そんなことする? と思うのは、私が単純に野暮だからだろうか。

「さよならの秋」は少し趣が変わり、国会前のSEALDsのデモに参加している「私」が無関心な瑛太に別れを切り出す。

「今の総理の断行しようとする戦争法案が通ったら、瑛太も戦争に引っ張られるのよ。女だって召集されるのよ」「瑛太は笑うけど、デモってる時って軀の中が透明になって、自分のことなんか無くなっちゃう。みんなで生きようよって、高揚した気分が軀いっぱいにみなぎってくる…瑛太、わかって」

この感覚はわかります。寂聴先生も昨年の9月は、老骨に鞭打って国会前に立たれていました。自由と平和があってこその恋愛、だと思います。