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ニーコと6匹の子猫たちの、家族と命の物語

ねこのおうち 柳 美里 著

ねこのおうちの写真河出書房新社 1500円(税別)

現在我が家には5匹の猫が暮らしている。そのほかに仏さまのもとに行ってしまった子が3匹いる。8匹に共通しているのは、みな捨てられたか、のら猫から生まれた子どもだということ。1匹目は、三毛の美しい猫だった。昨春20年の天寿を全うした。次は黒い雄猫。もう大人だったが、なかば強引にウチに入り込んで、私も根負けして居住を許した。三毛と仲が良かったが、腎臓を悪くして3年くらいで死んだ。享年はわからない。次の猫は道で衰弱して死にそうになっているキジのメスの子猫を拾った。猫エイズで皮膚病で苦しんだ後、10か月で死んだ。

今生きている猫のうち最初の2匹は、キジ白と白黒の姉妹。知人に一緒に拾われたので、多分姉妹だと思う。同じキャリーバッグに入れられてウチに着いた時から、ゴロゴロとのどを鳴らす音が部屋中に響いていた。人懐っこさは犬なみか、それ以上。とにかく人間が大好き。拾われた時はガリガリに痩せていて、目もグチャグチャになっていた。3匹一緒に拾われ、比較的健康状態が良さそうな1匹は別の人に引き取られ、引き取り手のなさそうな2匹がウチに来た。白黒は特に目が悪くて、今もあまり見えていないと思う。腎臓も悪くして、もう2年以上毎日点滴している。

次に来た三毛の子猫は別の知人の家の庭にいた。なぜか、庭に1匹だけで。健康状態も良さそうで、美しい子猫だった。その1週間後、キジの雄の子猫が知人の庭に現れた。この子も健康そうだった。毛色が違うが、体の大きさや顔つきから姉弟(兄妹)だと思う。ほかにも兄弟姉妹がいたのではないか、と今でも気になっている。

もう1匹はキジのメス猫。前のアパートの外にいた猫を、引っ越す時に連れて来た。まだ慣れずに、ほとんど押し入れの中に隠れている。

私は一緒に暮らす猫たちが、私の家に来るまでにどんなことがあったのか知らない。本当にきょうだいなのかどうかも想像するしかない。

前置きが長くなってしまったが、こんな話を書いたのは、この小説は、私が想像するしかなかった「猫がウチに来るまで」を書いてくれているような気がしたからだ。

物語は身勝手な飼い主に生まれたばかりのメス猫が捨てられるところから始まる。捨てられたメス猫は、優しいおばあさんに拾われて、ニーコと名付けられ、幸福なひと時を過ごす。ニーコとニーコが生んだ6匹の子猫と、子猫の里親になった人たちの物語である。

小学校の意地悪な友達との関係に悩む女の子と不登校の姉。離婚した両親にわだかまりのあるライターの青年。母に虐待されていると噂のある母子家庭の少年。妻にガンが見つかり、最期の二人の時間を過ごす夫婦。

これは私の偏った読み方だとは思うが、人間よりも、猫たちの行く末が気になってしょうがなかった。「ですます調」の優しい語り口だが、読んでいてつらくなった。猫たちの現実が容赦なく盛り込まれている。

舞台となる「光町」は台地状の丘の上に公園があり、丘の斜面に住宅が並び、丘の下に商店などがある。

公園には多くの、のら猫が暮らしている。どんな町にも猫好きと猫嫌いがいる。光町の町会長・加藤さんは猫嫌いなため、対応が極端なようだ。子ども会の会長・田中さんは町会に禁じられても猫のエサやりはやめない。優しい獣医師・港先生はのら猫でも親切に診てくれる。猫は人間に捨てられたことで、もう十分にひどい目にあっている。さらに、保健所で殺処分されるという「罰」をどうして受けなければいけないのだろう。罰せられるべきは、捨てた人間の方だ。

著者については、断片的な知識しかないが、パートナーを病気で失っていたと思う。母子家庭で、子育てに悩み、長い間スランプで書けなかった。そんなエッセイも読んだことがある。この作品は2年ぶりの小説とのことで、著者の経験もちりばめられているように思う。

人と人の間にいるだけで、その場の空気が少し暖かく、軽くなるような猫の存在。言葉で表現するのはとても難しいが、著者はうまく表現していたと思う。

完読した後、しばらく放心した。特に猫好きの人は、注意が必要。ラストは人前では読まない方がいいと思う。