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人の心に棲む「魔」が争いを引き起こす

荒  神 宮部 みゆき 著

荒神の写真朝日新聞出版 1800円(税別)

 戦国時代が終わり、江戸幕府が開かれて以来100年たっても、陸奥の南の端にある小藩、永津野藩3万石と香山(こうやま)藩1万石は鋭く対立していた。

 香山藩はもとは永津野藩主・竜崎氏の家老(おとな)だった瓜生氏が関ヶ原の戦いの戦功を認められて立藩を許された土地。香山の地はもとは竜崎氏の支配地だったが、戦国時代には戦利地として他氏の支配地に入ったりと、「捨て石」のように遇されてきた。領民とともにその屈辱と苦難をなめてきた瓜生氏は、関ヶ原の戦いで一か八かの賭けに出た。主君の竜崎氏が西軍(豊臣方)についたのに対し、瓜生氏は東軍(徳川方)についた。そして、東軍の勝利により晴れて、独立を果たしたのだ。ところが、西軍についた竜崎氏も許され、領地が安堵された。永津野藩竜崎氏からすれば、香山の地は裏切り者の瓜生氏がかすめ取った土地で、取り戻すのが当然で、むしろ義務であるとすら思っている。

 江戸時代になると、香山藩は山を開墾して香木や生薬の素となる灌木や野草を栽培して藩を富ましていった。対して永津野藩は、金山で潤った時期もあったが、山も掘り尽くし、今は目立った産業もない。それでも軍事に長けた家風はそのままで、特に曽谷弾正という得体のしれない流れ者が藩主・竜崎高持の側近になってからは、牛頭馬頭(ごずめず)と呼ばれる国境の砦に詰める番士を率いて香山領の国境の開拓村を襲い、「人狩り」を行っている。

 時は五代将軍綱吉の治世で、些細な不祥事で改易や減封の処分が下されていた。香山藩の我慢も限界だが、戦をすれば負けるのは確実だし、これが表ざたになれば、両藩ともお取りつぶしになりかねない。既に、幕府の隠密が領内に潜んで、目を光らせている可能性もある。

 こんな緊迫した情勢の中、香山藩の開拓村の一つ、仁谷村で事件が起きた。巨大な「怪物」に村が襲われ、壊滅したのだ。命からがら国境の山を越えて逃げてきた少年・蓑吉を永津野領内の国境の村・名賀村に住む朱音(あかね)が助けたことで、物語は展開してゆく。

 江戸時代、小さいといえども藩は国であり、そこに生活する領民にとっては、それが世界の全てだった。「天女のように」美しく優しい朱音に助けられ、名賀村の人々と親しんだ蓑吉はカルチャーショックを受ける。蓑吉は永津野領に住んでいるのは鬼のような人たちで、農民は圧政で疲弊しきっていると思い込んでいたのだ。その上、朱音はあの恐ろしい曽谷弾正の妹だという。

 蓑吉の感覚(思い込み)は、香山藩士・小日向直弥ら他の登場人物も同じだ。

 これに旅の絵師・圓秀(えんしゅう)や、旅の素浪人・榊田宗栄(さかきだそうえい)など、外から来た人物がかかわってゆく。

 閉塞感のある世界、そして無知から来る誤解。どこか今の世界情勢にも似たところがありはしないだろうか。

 人の心に棲む「魔」が争いを引き起こす。「おそろし」など著者が書く他の物語にも通じるものがある。