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没後10年。不世出のコラムニストの原点探る

評伝 ナンシー関「心に一人のナンシーを」 横田 増生 著

「心に一人のナンシーを」の写真朝日新聞出版 1500円(税別)

 2002年6月12日に急死した、消しゴム版画家でコラムニストのナンシー関さん(享年39)。その年の暮の最後のチューニングでナンシーさんのことを書いた。テレビから見える事象を鋭い視点で書いたテレビ評は秀逸で、異彩を放っていた。しかし、これほどの書き手が急逝したというのに、テレビや新聞の扱いはそれほど大きくはなかった(辛口のコラムに反感を抱くテレビ関係者がいたせいだろうか)。それで、この頃から、「今年最後のコラム(チューニング)には、ナンシー関のことを書こう」と心に決めていた。新聞が出ると、「私も同じ気持ちです」という読者から電話をもらった。多分、ナンシーさんのことを一緒に語りたいという気持ちだったのだろうが、私は思いがけないことでうまく話ができなかった(ごめんなさい)。

 だから同書を書店で見つけた時には、思わず手が伸びてしまった。2012年6月に没後10年に合わせるように出版された一冊である。著者は生前のナンシーさんとは面識がないという。しかし、死後本格的にその著作を読むようになり、その文章のうまさに触れ、そして私と同じような違和感を持ったのだと思う。

 ナンシーさんはテレビという箱の中で展開される事象やタレントの言動を視聴者と同じ目線で見て書く。有名な書き手になってからは、テレビの裏情報を得ようと思えば得られただろうが、あくまでテレビから見える事象だけにこだわった。つまり、得られる情報量は私たちと同じはずなのに、私たちがテレビを見ていて抱いたちょっとした違和感をスッキリと言語化してくれる。ナンシーさんが亡くなった時に抱いた喪失感、それは、もうこんな書き手は現れないだろう、という暗澹(たん)たる予測でもあった。

 独特のリズムを持った文章も魅力的だった。ナンシーさんの書いたものを読んでいて、お恥ずかしながら私の書いた文章がナンシー風になってしまったことがある。本書の冒頭にナンシーさんの大ファンだという作家・宮部みゆきさんの話が出てくる。宮部さんはほとんどテレビを見ないそうだが、それでもナンシーさんが書いたものはおもしろいという。つまり、書かれている対象をよく知らなくても読めるくらい文章巧者なのである。

 著者はナンシーさんの実家のある青森県の家族や高校時代からの友人や恩師、無名時代にデビューのきっかけをつくった編集プロダクションの人たちや、全国区のコラムニストになってから関わった人などに取材し、独特の視点や文章がどのように生まれ、なぜ消しゴム版画を作るようになったのか、そしてナンシーさんの人となりを明らかにしようとする。ナンシーさんは、正直で裏表のない人だったようだ。仕事面では、テレビ評以外の可能性にも思いを馳せている。

 今でもナンシーさんだったらどう切るかな、とテレビを見ながら思うことがある。もやもやした気持ちはもやもやしたままオリのように溜まり続け、テレビの不可解さは増すばかり。凡人で、ナンシーさんのような視点を持てない私には分からないことばかりだ。ナンシーさんが亡くなった後に、目に付いた文庫本をあらかた購入した。読み返して、その観察眼に再び触れてみたい。