「私の昭和史(第3部)―昭和から平成へ― 夢見る頃を過ぎても」は昭和ロマン館館長・根本圭助さんの交友録を中心に、昭和から平成という時代を振り返ります。

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夢見る頃を過ぎても(16)

かつて綺羅星のごとき挿絵画家が集った出版美術家連盟

根本 圭助

昭和10年2月、東京・南千住に生まれる。第二瑞光国民学校4年生の時罹災。千葉県柏町に移る。小松崎茂に師事。主な仕事は出版物、及び特にTVキャラクターのマーチャンダイジングのイラストで幅広く活躍する。現在松戸市在住。小松崎茂作品を中心に昭和の雑誌文化を支えた挿し絵画家たちの絵を展示する「昭和ロマン館」館長。

筆者が描いた「島にも秋の風が…」の絵▲筆者が描いた「島にも秋の風が…」

まず冒頭に先月号の昭和ロマン館の現状について、表現に不十分な面がありましたので、補足させていただきます。此の度の東日本大震災の影響で、現在昭和ロマン館は閉館を余儀なくされて居りますが、関係各位の熱意で、「昭和ロマン館」の存在は、守り通すことになり、目下色々検討がくり返されて居ります。

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今年も例年通り、日本出版美術家連盟展が8月27日から9月1日まで、銀座外濠通りのサロン・ド・ジーで開催された。

初日のオープニングには林家木久扇さんや、初代「ウルトラマン」のスーツ・アクター古谷敏さん、東宝現代劇の安宅忍さん、それに日頃親しくしている多くの皆さんが押しかけてくださり、狭い会場は人で溢れ、絵を見るどころではなかった。それにしても今年の出品者は特別展示の物故者コーナーを入れてちょうど40名。思えば数の上でも一寸淋しい限りである。会員の中で出品しなかった人も多いが、私自身を含めて量質ともに劣り、何よりも出品画にかっての熱が少ないことにちょっぴり淋しい思いがした。

「挿絵」というものが、戦前一世を風靡したのは周知の通りだが、戦後の出版界の復興とともに、世に言うカストリ雑誌を含め、あらゆる良書、悪書入り混ざっての出版物が数多く出版され、挿絵もそれにつれて多くの雑誌を彩った。

そうした中で実力派であり、正統流とも言える挿絵画家が集まって会を作ることになり、出来上がったのがこの「出版美術家連盟」だった。

昭和23年に上野桜亭において挿絵画家有志が集い、会の発足の打ち合わせが行われた。

当日出席した発足メンバーは以下の通りだった。岩田専太郎、鴨下晁湖、宮尾しげお、田河水泡、田中比佐良、小野佐世男、富田千秋、川原久仁於、田代光、嶺田弘、清水三重三、細木原青起、寺本忠雄、須藤しげる、梁川剛一…思えばみんな彼岸に渡ってしまったが、昔からの挿絵ファンの方のみならず、凄い豪華メンバーだったと理解していただけると思う。

席上、初代理事長に岩田専太郎が就任。団体名も「出版美術家連盟」と命名された。

昭和25年、第一回総会が、上野韻松亭で開かれ、いよいよ本格的な活動が始まった。

昭和26年7月、第一回「挿絵祭り」と銘打った展覧会が上野松坂屋で盛大に開催され、7階ホールでは揃いの浴衣でお祭り気分を盛りあげ、今村恒美の里神楽や、会員有志の席画会などで大いに気勢をあげた。

私は当時高校2年だったが、綺羅星のごとく居並ぶ諸先生の姿に憧れ、威圧され、魅了されてしまった作品も多いので、夏休みを幸いに3日間通った思い出を持っている。

 

激減した挿絵の仕事

あれから60年―柱となる小説そのものも様変わりし、挿絵というジャンルの仕事も激減してしまった。今ではイラストという新しい言葉も生まれ、挿絵の多くはといえば、スポーツ新聞の夕刊紙に見るような官能とかポルノといった世界が幅をきかせる時代になったが、それとても昨今は衰微し、伝統ある会も、今や淋しい限りである。技術的にも現在はCG(コンピュータグラフィックス)作品も多くなりこの先はどうなることやら…出版社そのものも電子出版への移行で大きい曲がり角を迎えて居り、私共年寄りはどんどん時代に見離されて行くばかりである。

 

展覧会に来てくれた小浜奈々子さんとの写真▲展覧会に来てくれた小浜奈々子さん(左)と

かっての挿絵画家の多くは、タブロー(本画)への夢をあきらめて挿絵の世界に入って来た人が多く、それ故に本画家(日本画家、油絵画家)に対するコンプレックスを強く抱いていた人が多く、それを逆に起爆剤としてすばらしい挿絵を描いている人も多かった。今年の展覧会も一応成功裡に終わったが、ファンの一人として昔を偲ぶとふっと淋しくなる。

日頃親しくしている方達30人近くが残って私のために二次会を開いてくれた。

「ウルトラマン」の古谷敏さんと友人の小林聖さんが総てを仕切ってくれて大助かりだった。感謝、感謝である。今回私は奈良興福寺の阿修羅像を描き、会長賞をいただいたが、昔はこんなもんじゃなかった―という感が強いので恥ずかしかった。

展覧会では、思いがけぬ古い友人や知人とお会いしたりするのが楽しみのひとつだが、今回も20年振りだ、30年振りだと再会を喜んでくださった人が居たが、3人程お顔も名前だったが、綺羅星のごとく居並ぶ諸先生の姿に憧れ、威圧され、魅了されてしまった作品も多いので、夏休みを幸いに3日間通った思い出を持っている。も思い出せない方がいらっしゃって人混みの中でかなりあわててしまった。

80歳にはまだ3年近くあるが、この歳になると、身体の部品があちこち老朽化していくのが自覚されて、これは心底淋しくなる。

 

挿絵の世界も今や伝説

「百戦錬磨」大西將美の画▲「百戦錬磨」大西將美・画

本日劇団にんげん座を主宰する劇作家の飯田一雄さんから来信があった。浅草をこよなく愛する飯田さんは、浅草六区の衰退を嘆き、往時の盛況に思いを馳せた文だった。そして浅草六区に僅かに残っていた二軒の映画館がついに閉館されるという切ない事を報じて来た。浅草新劇場のテケツ(切符売場)の脇の柱にコピー用紙に細かい文字で打ち込まれた閉館の挨拶が、まるで小さな商店が店仕舞するような小さな紙で記されていたという。

「このたび、建物の老朽化が進み、閉館することになりました。浅草シネマは9月17日、浅草世界館は9月25日、浅草新劇場、浅草中映映画劇場、浅草名画座は10月21日までとなります」―という次第。中映映画劇場はずっと昔の大都劇場。浅草新劇場はもと江川劇場だった。

この地下劇場を含めた2館を最後に、浅草六区から古い映画館はすべて姿を消すことになった。

近頃浅草へ出かけることが多くなり、館へは入らなくとも、館の前を通ると未だに「網走番外地」「座頭市」等古い映画も上映されていて、何故かホッとしたが、ついにかっての六区の賑わいは、ますます伝説の中のものになってしまうようだ。

挿絵の世界といい、六区の盛衰といい、所詮時流には勝てず、人知の及ぶところではない。今年の出版美術家連盟展については、一寸生意気なことを書いてしまった。ここに掲載した大西將美さんは小松崎家で同じ釜の飯を食べた兄弟弟子だが、このような力作を出展しているし、他にも力作はあるのだが…。

「戦前の挿絵全盛期には、画家のプロマイドでも出したら、きっと売れたと思う。それ程挿絵の人気は凄かった!」と語るのは、現在最長老101歳の中一弥先生の語るところである。蛇足ながら、中先生は「鬼平犯科帳」「剣客商売」の挿絵で知られるお方である。

展覧会の最終日には、かってNMH(日劇ミュージックホール)のトップスターとして君臨した小浜奈々子さんも来て下さった。かっては、谷崎潤一郎はじめ多くの文人や画家が小浜さんを目当てに通っていた。

親しい友といっては生意気かも知れないが時折カラオケに誘ってくださる、やっぱり親しい友と呼ばせていただける存在である。

新しい年が、ゆったり流れはじめたと思ったら、春は泡沫(うたかた)の間に過ぎ、長く続いた炎暑の夏も過ぎつつあり、そろそろ草むらで虫の声が秋を告げはじめて、月の美しい季節になった。とは言っても日中の残暑は未だ激しく、肌に突きささるような暑さである。夏の疲労で体調をこわさぬよう、皆様の御健康を心からお祈り申し上げて、今月はこの辺で―。

「十五夜お月さん ごきげんさん

ばあやは おいとま とりました

十五夜お月さん 母さんに

も一度 わたしは 逢いたいな」

野口雨情

 

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