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忘れ得ぬ人びと 人生一期一会(33)

テレビ小説「鳩子の海」の藤田三保子さん


昭和49年4月1日、NHKテレビ朝の連続テレビ小説で、「鳩子の海」がブラウン管に登場した。

連続テレビ小説としては1回目の「娘と私」(昭36)以来、14作目のもので、ちなみに当時の朝のテレビ小説は、1年間の連続ものだったが、この「鳩子の海」の次の作品「水色の時」(主演・大竹しのぶの出世作となった)から、31作「おしん」(昭58)、46作「君の名は」(平3)の2作品を除いて、現在のような半年ごとの放映時間になった。

空襲のショックで記憶を失った戦災孤児が戦後の荒波にもまれながら、飢餓にあえぐ廃墟から高度成長期にいたる戦後の個人史を描いた作品で、その放浪の軌跡の中から「故郷とは何か」を問いかける作品でもあった。

主人公鳩子の少女時代を演じた斎藤こず恵ちゃんのいじらしい姿が評判となり、その後成人した鳩子役を演じたのが藤田三保子(藤田美保子改め)さんだった。

主人公の鳩子は、紙芝居屋やせんべいの行商―そして結婚。しかし離婚という苦境を乗り越えて、結城紬(ゆうきつむぎ)の店を経営するという―それまでは良妻賢母型のヒロインを多く描いてきたが、この物語では、自立する強い女性を登場させ、その鳩子という女性像を藤田さんは見事に演じきった。

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根本 圭助

昭和10年2月、東京・南千住に生まれる。第二瑞光国民学校4年生の時罹災。千葉県柏町に移る。小松崎茂に師事。主な仕事は出版物、及び特にTVキャラクターのマーチャンダイジングのイラストで幅広く活躍する。現在松戸市在住。小松崎茂作品を中心に昭和の雑誌文化を支えた挿し絵画家たちの絵を展示する「昭和ロマン館」館長。

 

筆者(左)と藤田三保子さん(伊豆・修善寺の菖蒲まつりで)

▲筆者(左)と藤田三保子さん(伊豆・修善寺の菖蒲まつりで)

 

平均視聴率46・1%、鳩子の出生の秘密が明らかになる終盤では、視聴率が50%を超えた。最高53・3%という記録が残っている。

日本人離れした彫りの深い美貌と強い個性を買われ、藤田さんは昭和50年5月からTBSでスタートした「Gメン75」にレギュラー出演をすることになる。

国際化する犯罪に対処すべく黒木警視(丹波哲郎)は特別捜査班を組織。選び抜かれた彼らは死を恐れず平和を守るため、敢然と悪に立ち向かう。丹波哲郎以下、夏木陽介、藤木悠、倉田保昭、原田大二郎、岡本富士太、そして紅一点の藤田三保子(当時美保子)さんの7人。

大人向けの正統派路線の刑事ものとして視聴率30%を超えたことも数回。平均18%という人気番組となった。

そして、西の「必殺」、東の「Gメン」と言われ、常に「必殺シリーズ」と視聴率を競い合った。

「Gメン75」で紅一点の女性刑事「響圭子」を演じた藤田さんの存在は、「鳩子の海」のヒロイン役とともに多くの人の心に今も深く焼きついている。

そして、それまでお茶くみ役程度でしかなかった刑事ドラマの中での女性刑事の役割を飛躍的に発展、向上させ、完全に塗り替えた。とにかくカッコ良かった!

仄聞(そくぶん)によれば、このドラマを見て女性刑事に憧れ、その道へ進んだ女性もいたように聞いている。

 

シャンソン歌手として熱唱する藤田三保子さん

▲シャンソン歌手として熱唱する藤田三保子さん

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シャンソン歌手として

藤田さんは山口県の出身で、上京後文学座に席を置いたが、前述の「鳩子の海」の大人になった鳩子役で芸能界にデビューした。

昭和52年に結婚。その後膠原病(こうげんびょう)に冒されたりしたが、平成元年、新内の岡本宮ふじの半生を描いた芝居「らんちょう」(築地ブディストホール)で女優業に復帰を果たした。

テレビドラマへのゲスト出演も多く、平成16年には、「徹子の部屋」にも招かれている。

映画は、「看護婦のオヤジ頑張る」(昭55・神山征二郎監督)、「マタギ」(昭57・後藤俊夫監督)、「国会へいこう」(平4・一倉治雄監督)などがあるが、このスケールの大きい個性的な女優の魅力は必ずしも充分に活かしきれていないように思われる。

その後藤田さんは朗読に力を注ぎ、独り舞台にも活躍の場を広げている。そしてついにシャンソンと出会うことになる。

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平成16年5月、朝霞「る・仏蘭」にてライブデビュー。以来、銀座「シグナス」、横浜「デュモン」などでの毎月ライブ他、現在は精力的に演奏活動をしている。

世にマルチタレントと呼ばれる人がいるが、最近の藤田さんを見ると、まさに八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍で、ライフワークとしている「朗読」は現在、読売文化センター北千住、川崎、新宿で講師をつとめ、「山頭女」という俳号での俳句活動も、浅草「助六句会」、同「ペガサス句会」の代表をつとめ、NHK―BSにも出演している。

その他、平成8年頃より絵画にも情熱をぶつけるようになり、東京展、日本出版美術家連盟などで私も親しく交流した。

タレントとして演劇に舞踊に。俳人として。朗読の講師として。あるいは画家としても活躍している藤田さんだが、今いちばん情熱を傾けているのは、シャンソン歌手としての舞台のように思われる。ギタリストのクロード・チアリさんと共演した赤坂バードランドでのディナーショーを先頃観る機会を得たが、すばらしい歌声で何よりも表現力が豊かで楽しい刻(とき)を過ごした。

よく笑い、そして繊細

数年前、T社の社長から熱海の後楽園ホテルへ招待されたことがあった。本シリーズ1回目に登場していただいた中一弥先生(鬼平犯科帳、剣客商売の挿絵で知られ、現在98歳。現役最長老として朝日新聞に連載中)を筆頭に、濱野彰親先生(松本清張「黒革の手帳」「十万分の一の偶然」、山崎豊子「大地の子」他の挿絵で活躍)夫妻。鴨下多可子さん(鴨下晁湖先生のお嬢さん。鴨下先生は司馬遼太郎「関ケ原」、柴田練三郎「眠狂四郎」シリーズなどの挿絵で知られる)ほか日頃親しくしている皆さんに加えて藤田さんもお招きした。

私はいつも通り幹事役として賑やかな一夜を過ごしたが、翌日は、さてどこへ行こうかということになり、当初は真鶴を巡って、中川一政美術館へ行く予定にしていたが、濱野先生も私もすでに行ったことがあるので、急に予定を変更し、ホテルのロビーに貼られていたポスターに誘われて修善寺の「菖蒲(あやめ)まつり」へ行くことになった。藤田さんが加わったこの小さな旅は本当に賑やかで楽しく、同行した先生方も喜んでくれた。

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小松崎先生の三回忌でウルトラマンから手紙を受け取る藤田さん

▲小松崎先生の三回忌でウルトラマンから手紙を受け取る藤田さん

あの日の菖蒲の美しさは今も楽しく心に残っている。車2台での移動だったが、あやふやな地図を頼りのドライブで、藤田さんが乗った先導車の車内はキャーキャー大爆笑の連続だったそうで、それでもどうにか目的地にたどり着くことができ

よく笑い、よく食べ、はっきり物を言い、そして繊細な神経の持ち主である藤田三保子さんは私が大好きな女性の一人である。師の小松崎茂先生の三回忌を後楽園のドームホテルで開いた際には、司会役をお願いしている。大柄でひときわ目立ってしまう藤田さんは、シャンソンの勉強でパリへ出かけた折、「とにかくみな背が高いし、私も目立たない存在で、気が楽だった」と楽しそうに笑っていたが、女優たるもの目立たないのは淋しいし、目立ちすぎるのも息苦しいことが多いようで、難しいもんだなァーと感じた。

「朝の時計代わり」とまで言われた程生活の中に溶け込み、国民的ドラマとして、今も親しまれている「連続テレビ小説」もすでに40年近い歴史を重ねた。その数ある「テレビ小説」の中のヒット作のひとつ「鳩子の海」から躍り出た藤田三保子さん。
色々な人生経験を経てきた藤田さんのシャンソンの魅力は、これからが本当の味が出てくるものと私は信じている。

魂をゆさぶる歌として、切なく、かなしく、そして明るく、楽しく藤田三保子さんの前途をファンのひとりとして楽しみにしている。明後日7月14日はパリ祭なので、藤田さんも忙しい毎日を送っていらっしゃることと思う。藤田さん! また近いうち楽しい食事でもしましょう!

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