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会社とは、働くとはどういうことなのだろうか

北海タイムス物語 増田 俊也 著

北海タイムス物語の写真新潮社 1700円(税別)

主人公の野々村巡洋(じゅんよう)は早稲田大学を卒業して北海タイムスという地方紙に入社するために札幌にやってきた。朝毎読などの全国紙や中日、西日本などのブロック紙にも全部落ちての不本意入社。今年も全国紙の入社試験を受けようと思っている。浪人するよりは、1年我慢して勤め、記者としての基礎を学んだ方が受かりやすいだろうと判断した。つまり腰掛である。

ところが2週間の記者としての研修を終えて配属されたのは整理部だった。整理部というのは、記事の優先順位と見出しをつけ、レイアウトする部署である。社会部記者になるために入社した野々村は大いに落胆する。「師匠」として野々村に仕事を教える権藤は、取材記者としても、整理記者としても有能で、他社にまでその名を知られている。しかし、職人気質で細かいことは教えてくれず、野々村は権藤に怒鳴られないように委縮して仕事をする日々。

先輩社員はジーンズなどラフな格好で出勤しているのに、野々村はいつもスーツ。スーツを脱ぐと、取材記者としてスタートした同期たちにどんどん遅れをとるような気がするのだ。そして、なかなか地下鉄に乗れずに、入社以来ずっとタクシーを使っている。中途半端な気持ちの野々村は、整理部にも札幌の街にも馴染めないでいる。

そんな風だから、東京で司法試験を目指している恋人の日菜子ともギクシャクしてしまう。「今年はいけると思う」と明るく夢を語る恋人の言葉を素直に喜べない。

1990年の4月から8月までの、ほんの5か月の物語である。しかし、その5か月間は実に濃密だ。前半は主人公の低空飛行が続き、苦しいほど。だからこそ後半に見える光が、まぶしいほどグッとくる。

私が某出版社で社会人生活をスタートさせたのも1990年だった。そして、主人公と同じように不本意入社で、転職のことばかり考えていた。だから野々村の気持ちもわからなくはない。鉛の活字を使った活版印刷から、オフセット印刷へ。松戸よみうりに入社したのは、95年で、倍尺(ばいじゃく=新聞のレイアウトに使う物差し)片手にレイアウト用紙に鉛筆でレイアウトをしていた。今はすべてパソコンの作業だ。そんな経験からして、整理の仕事は本気で取り組めば、ずいぶん力の付く仕事だと思うのだが、野々村にはそのことがなかなか分からない。

野々村の先輩や同期など、登場人物が魅力的。読み終わっても、登場人物たちのその後が気になる。北大柔道部出身の松田は朗らかで先輩社員にも可愛がられている。野々村と同年代なのに、ずいぶん大人びて見える。野々村が気を許せる数少ない同僚だ。野々村と同じ大学出身の浦ユリ子は白系ロシアの血を引くどこかミステリアスな美人。彼女もずいぶん大人びて見える。

実は北海タイムスは経営が苦しく、薄給で社員たちは貧困にあえいでいる。労働組合と経営陣との対立も描かれる。年収はベテラン社員でも200万円前後。大手の5分の1以下だ。反して人手が足りないため、社員は他社の3倍、4倍もの仕事量をこなさなければならない。低賃金長時間労働。今でいうワーキングプアだ。しかし、社員たちは100年続く名門新聞社の題号を守るために必死に働いている。会社とは、働くとはどういうことなのだろうと、考えさせられる。

こんな会社ないだろうと思ったが、実は98年に休刊するまで実在した会社だという。そして著者が社会人生活をスタートさせた会社であり、経歴からして松田が著者のようである。著者は2年で北海タイムスを退社して、中日新聞に移った。この作品は著者の悔恨も込められているという。