平和への思い新たに

長崎に中学生の平和大使

7日から10日まで市内の中学生22人で結成された「平和大使」が長崎を訪れ、平和祈念式典などに参加。平和の尊さを再認識した。「平和大使」は中学生を対象に、長崎市が各自治体に呼びかけ、毎年実施しているもので、松戸市は2008年の初参加以来今年が8回目の派遣。戦争の悲惨さや核兵器の恐ろしさを学ぶこと、被爆者への追悼を目的に、長崎ピースフォーラムに参加した。「平和大使」には16校から36人の応募があり、抽選で22人が選ばれた。

市役所で帰庁報告を行う中学生長崎平和大使の写真▲市役所で帰庁報告を行う中学生長崎平和大使

10日には帰庁報告を行い、22人がそれぞれ感想を述べた。

常盤平中学1年の田﨑和(あまね)さんは、「原爆資料館ではとても悲惨な写真がたくさんあり、また熱線や爆風でビンなどが変形しており、とてもびっくりしました。今は普通に生活していますが、70年前にはこんな悲劇が起きていたのかと思いました。この世界で起きたこととは思えませんでした。でも実際に起きたことだと思うと、とても怖かったです。被爆者の方のお話はどれも残酷で悲惨でした。でもひとつすごいと思ったのが、被爆者の方は未来を変えようとしていたからです。どんなに辛い過去でも、そこから歩き出して未来を平和にしようとしているからです。自分たちが一番辛いはずなのに、自分がもし被爆者だったら、そんなことできるかな、と思いました。私は過去は変えられなくても、未来は変えられると思います。起きてしまったことは変えられないし、なかったことにはできないけど、未来ならだれにでも変えられるということを今回の平和大使で学びました。今回学んだことを自分でしっかり考えて家族や友達など周りの人たちに話していきたいです」と話した。

古ヶ崎中学2年の倉重はるかさんは「私は今回長崎に行かせていただき、戦争に対しての思いが180度変わりました。被爆者の方の被爆講話を聞いてから、本当の平和や被爆者の方々の思いについて、真剣に考えるようになりました。本当の平和は戦争がないだけでなく、いじめや、反平和の行動がないこと、そして私たちが平和の大切さを実感することから始まるのだと気づきました。そして被爆者の方の思いを考えるようになりました。私は被爆体験講話は自分たちが話を聞いて、被爆者の方々の思いを伝えていくものだと思っていました。ですが、被爆者の方々は思い出すのも苦しく、語るのにも覚悟や勇気がいるものだと、長崎に行き、平和祈念式典に参加し、話す方々の立場の大変さに初めて気づかされました。未来の平和は私たちが担っていかなければなりません。未来のためにも、被爆者の方々のためにも、二度と戦争は起こさないという心が大切だと感じました。同じ過ちを繰り返さないため、平和を訴えていかなければならないと、自分の使命を深く重く感じることができました」と話した。

和名ヶ谷中学2年の飯銅千尋さんは「私は今回初めて長崎に行き、この3泊4日で今まで詳しく知らなかった被爆の実相や原子爆弾の恐ろしさを学ぶことができました。ピースフォーラムでの被爆体験講話では70年前に16歳で被爆した方の話を聞きました。その方は原子爆弾を落とされた時、道にいた少年に水をくれと言われましたが、親を探していたため、水を与えることはできなかったそうです。このことを今でも夢に出てくるほど後悔しているとお話していました。戦争は長い年月にわたって人々の心と体を傷つけ、なにもかもを奪うとても恐ろしいものです。それによって、今でも苦しんでいる人がいます。このようなことを二度と繰り返さないために、今回被爆者の方が辛いなか話してくださったことをたくさんの人に伝えていくことが、未来の平和につながる第一歩だと思いました」と話した。

小金北中学1年の島岡里帆さんは「私が平和大使として長崎に行って一番学べたことは平和の尊さです。おいしいご飯を食べられること、好きなことができることなど、当たり前のことが当たり前にできることの尊さが今回の平和学習を通して初めて分かりました。私は被爆者の方のお話や原爆資料館の資料がとても印象に残っています。話を聞いたり、資料を見たときに、こんなにも原爆は恐ろしく人を傷つけるものなんだと驚きました。また、私はとても幸せな暮らしをしてきたんだなと思いました。今は平和な暮らしが出来ていますが、もしかしたらこの平和がずっと続くわけではないかもしれません。それでもこの平和をずっと守り続けるために、今回学んだことを伝えていかなくてはならないと思いました。二度と原爆が使われないように、この平和に感謝しながら、今回学んだことをこれから伝えていき、またこのような問題に対して自分にできることを考えていきたいです」と話した。

11月3日には平和大使長崎派遣報告会が予定されている。

戦後70周年・世界平和都市宣言30周年記念事業の一つとして、長崎派遣をとおして、大使それぞれが被爆地で感じたこと、学んだことなどを「平和の集い(地球のステージ)」で市民に伝える。