佐竹永湖の天井画など40点を調査・保存修復

松戸神社神楽殿を解体新築

 このほど松戸神社の神楽殿が解体新築されることになり、幕末から明治にかけて活躍した日本画家・佐竹永湖ほかが描いた天井画や杉戸絵40点が専門家の調査、保存修復を受けることになった。
  松戸市松戸の松戸神社は、地域が経済的発展を遂げた明治中期にかけて一連の社殿整備が行われ、当時隆盛にあった町の有志達が絵画等を奉納した。

松戸神社神楽殿の天井画(上)と杉戸絵の写真▲松戸神社神楽殿の天井画(上)と杉戸絵

 松戸市松戸の松戸神社は、地域が経済的発展を遂げた明治中期にかけて一連の社殿整備が行われ、当時隆盛にあった町の有志達が絵画等を奉納した。

 文久3年(1863)に竣工した松戸神社の拝殿の天井には佐竹永海、永湖親子の絵が残されている。神楽殿は明治21年(1888)の竣工で格天井と杉戸には寄進者の名を記した永湖らの筆になる絵画が施されているが、建物の老朽化により耐震性が維持できず、解体新築を余儀なくされた。

 佐竹永湖は明治33年(1900)パリ万博に出品するなど当時の画壇を代表する水準の画家であり、天井画等の保存状態は比較的良好という専門家の判断もあることから、新築にあたり絵画の保存修復を行った上で新たな神楽殿内に設置し後世に伝えることとなった。

 今回の保存修復に併せて東京藝術大学及び松戸市教育委員会の監修のもと学術的な調査も行い、これまで評価される機会の少なかった永湖らの作品に対する新たな発見が得られることを期待しているという。

 明治の社殿整備当時には地元の商家などに絵師が滞在したと伝えられ、それらの家には当時からの掛軸・襖絵などの伝承もあり、かつて町を挙げて神社を奉賛していた時代の機運を伝える史料としての価値も大きいものがある。

 この天井画36枚のうち動物18枚には永湖の記名、植物18枚には「錦谿」の記名がある。

 このうち木瓜を描いた面には「錦谿 朝比奈寛通」と読める記名があり、錦谿は永湖に関係する画家と考えられるが、どんな人物か定かではなく調査が進められている。

 

解体前の松戸神社神楽殿の写真▲解体前の松戸神社神楽殿

 新しい神楽殿は今年10月に完成の予定だが、絵画の調査・保存修復には来年の9月までかかる予定で、その後改めて新神楽殿に収められる。絵画は市の文化財に指定される可能性もあるという。同神社では、新神楽殿に収める前に絵画を一般に公開する機会を設けたいとしている。

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 佐竹永湖

 幕末~明治の画家。天保6年(1835)江戸に生まれる。

 本姓は加藤。幼名は金太郎、名を子璋、別号に泰峩・巍々堂。初め鳥取藩絵師沖一峨に土佐派・狩野派など諸派を学び、佐竹永海の養子となって谷文晁系南北合流の画法に通じる。皇室御用画をたびたび揮毫。内国絵画共進会・内国勧業博覧会等で多数受賞。日本画会審査員。明治42年(1909)75歳で没。