新たに芭蕉、一茶の句碑

「かつしか翁会」が建立

 平成22年10月に八ケ崎の金谷寺境内に松尾芭蕉の句碑が、昨年11月に松戸市消防団第23分団・日暮消防センター隣地(八柱駅近く)に小林一茶の句碑が建立された。芭蕉の句碑は本土寺、妙典寺、蘇羽鷹神社に続いて4基目。一茶の句碑は子和清水に続いて2基目。それぞれ、芭蕉、一茶の命日に建立されている。

八ケ崎の金谷寺境内にある芭蕉の句碑の写真▲八ケ崎の金谷寺境内にある芭蕉の句碑

建立したのは「かつしか翁会」という、全国の句碑を訪ね歩いている趣味の会。メンバーは、金谷寺住職の渡辺玄宗さん、佐野恒夫さん(柏市つくしが丘)、肥田野則之さん(柏市西原)の3人。

 金谷寺の芭蕉の句碑には、「者世越翁(はせをおきな) 父母の志(し)きり尓(に)古(こ)ひし雉子能聲(きじのこえ)」と刻まれている。

 この句の出典は、芭蕉の俳諧紀行文『笈(おい)の小文(こぶみ)』。芭蕉は、貞享5年(1688)、伊賀上野で父の三十三回忌を終えた後、父母の供養に高野山に登ったと伝えられており、この折に詠んだものとされている。

 渡辺住職によると、この句碑は同寺の墓地造成に併せて建立されており、父母のことを詠んだこの句を選んだという。刻字は、池大雅(いけのたいが=京都で活躍した文人画家、書家)の模写。

 日暮消防センター隣地の一茶の句碑には「一茶 おんひらひら

 蝶も金比羅参哉」と刻まれている。

日暮消防センター隣地にある一茶の句の写真▲日暮消防センター隣地にある一茶の句

 この句は、一茶が寛政6年(1794)4月12日、32歳の時に琴平金毘羅宮を参拝して詠んだ句。

 日暮には徳蔵院と白髭神社のほかに、水神社、琴平社、子神社、菅原社などがあり、信仰をあつめていた。古い地図によると、句碑の建つ場所は日暮字ウツボタとあり、水神社と琴平社が祀られていた。現在の消防センターの場所が水神社、句碑のある場所が琴平社跡地だと思われる。

 琴平社跡地を史跡として守り伝えるためと、東日本大震災で亡くなられた方の霊に哀悼の意を表して建てられたという。

 香川県琴平町の金毘羅宮表参道の宝物館の近くにこの句を刻んだ句碑があるが、一茶が奉納した筆跡により建立されている。日暮の句碑の刻字は、この字を模写しているという。(資料提供=宮田正宏さん)